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関ヶ原の合戦の裏話

初めまして。 今関ヶ原の裏話について調べているのですが、資料がなく困っています。 東西軍関係無しに何か裏話・考察等ありましたら教えてください。

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noname#10816
noname#10816
回答No.3

例示してもらって、更に困りました。 関ヶ原合戦があったことを否定する文献を見た事はありませんが、細かい所は様々な説があります。 例示にある、島津豊久の最後も諸説あり、司馬遼太郎の関ヶ原の中では、烏頭坂で戦死していますし、烏頭坂で重傷を負い、多良と言う所で自害した説もあります。また、五大老、五奉行制は多くの本で見ますが、三中老は否定的な説も実はあります。 石田三成と秀吉の出会いもそうですが、寺の小僧で三杯の茶を献じる話が有名ですが、三成の子孫の話では姫路で秀吉に仕えた事になっています。 裏話はこのように諸説ある一つの紹介になる可能性があり、難しい部分があります。 私が知っている話を紹介しておきます。(既にご存知ならごめんなさい) 石田三成が真田家に西軍加担の勧誘状を出しますが、今もこの勧誘状が残っています。真田家ではこの書状を長持の底に隠し寝ずの番を置いて守ってきたと聞いています。 石田三成の墓が京都・大徳寺の三玄院にありますが(非公開)墓石には何も文字が見られず、明治時代に学術調査のために墓が掘り起こされています。この時三成と思われる頭蓋骨が出てきています。 西軍の旗頭になった毛利家ですが領地を減らされ、吉川家の岩国は藩と認められず、(石高6万石)明治時代になって初めて藩と認められました。 こんな感じですが、裏話になりますか?

Ryo-A
質問者

お礼

>裏話はこのように諸説ある一つの紹介になる可能性があり、難しい部分があります。 そうですね。複数説ありますから裏話になるといえますからね。その中でいいですから教えてくださるとうれしいです。 >私が知っている話 裏話だと思います(私は知りませんでした) 三成の墓のことなど、興味深いです。 ご回答有難う御座います。 参考にさせていただきます。

その他の回答 (3)

  • junt
  • ベストアンサー率38% (97/254)
回答No.4

 裏話というのは難しいですが、私が真っ先に思い浮かぶのはケッヘル少佐の話ですね。  この人は、明治に入って、陸軍士官学校の教官としてドイツから招かれた人ですが(日露戦争で活躍した高級士官・高級参謀は乃木希典を除いて皆この人の教え子で日露戦争自体がメッケルの教え子達の勝利とかメッケル戦術の勝利とか言われているんですが)、日本に来てから関ヶ原の戦いの両軍の配置図を見せられているんですね。それで一目見るなりこれは、西軍の勝利だと言ったんですね、しかし一緒にいた人に東軍が勝ったと言われた、絶対そんな事はあり得ない、信じられないと言ったんですが、後から松尾山の小早川秀秋が裏切りこれが原因で西軍が負けたことを聞かされると『鳥の翼の一方(鶴翼の陣の一翼)が無くては負けたことが理解できる』と言ったといいます。  これを裏付けるように、小早川秀秋が裏切るまでは圧倒的に西軍が有利であり、小早川軍に攻められた大谷吉継(刑部)は秀吉に100万の軍を指揮させてみたいものだと言われた程の戦上手でした。最近の発掘調査でも西軍は半年は戦えるほど武器・食糧を揃え、山を要塞化していたことも分かっています。  小早川秀秋さえ裏切らなかったら、本当にケッヘル少佐の言う通りになっていたかもしれません。

noname#10816
noname#10816
回答No.2

関ヶ原合戦の資料は数多く残っていると思います。テーマが裏話ですので、どういった事が裏話になるのかわかりませんが、小説になりますが、司馬遼太郎著の関ヶ原(上・中・下巻)が新潮文庫から出ていますので参考にされてはどうでしょうか。 例示などあれば、更に答える事はできるかもしれません。 三中老ですが生駒親正、中村一氏、堀尾吉晴の三人です。 一般には五大老、五奉行と言われますが、記録には五大老は五人の奉行、五奉行は五人の年寄と書かれています。

Ryo-A
質問者

お礼

アドバイス有難う御座います。 三中老や五大老・五奉行など、新しい発見いっぱいです。とても参考になりました。 三中老のことはまったく知らなくて… 司馬遼太郎著「関ヶ原」ですね。早速読んでみます。 裏話というのは、普通みんなが知っていることではなく、歴史に埋もれてしまったことなら何でも良いです。 たとえば、島津豊久の最後で、落ち武者がために集落に入れてもらえず屋根の下で死ぬことが出来なかった。そのせいでその集落は明治維新を迎える時まで栄えず、7軒のままだった…というようなのであればうれしいです。

  • massh
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回答No.1

はじめましてmasshです。 裏話というほどではないのですが、、、、、、 秀吉が作った役職の「五奉行」「五大老」という役職がありますが秀吉はこの二つの役職の対立(家康と三成)を恐れ(秀頼のための安定した政治のため)「三中老」という「五奉行」「五大老」が対立したとき非があるほうを強くいさめ、調停するという役職がありますが実際関が原の戦いの際まったく機能しなかったというものがあります(3中老は家康側)

Ryo-A
質問者

お礼

masshさん、アドバイス有難う御座います。 三中老という役割ははじめて知りました。 誰がこの任に当たっていたのでしょうか?