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三好長曾我部?

私の祖父(88歳)はことあるたびに「家は四国の三好長曾我部が先祖で墓(←墓は唯一本当・佐藤姓)も土佐にある。家系図も短刀もあった。(大正期に船成金に800円で曽祖父が売ったとのこと)江戸時代は土佐で白札郷士としてみじめだった」と言っております。しかし・・・ 祖父の言うことが100%ウソとは言いませんが100%本当ではないです 疑問1 三好と長曾我部の名前が一緒になることはある? 2 祖父の姓は佐藤であり長曾我部の秦である 三好で佐藤(藤原姓)はありえるか? 3 長宗我部は大阪の陣で終了しているはず 長宗我部や香曽我部の末裔が白札郷士で存在するのか? 考えれば考えるほど疑問だらけです 誰か1つでもわかる方お願いします 

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  • YUZURU
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回答No.3

元々、下士は長曽我部氏の家臣で有った人たちです。 白札郷士は、下士の内、少数に許された身分です。 白札郷士は長曽我部氏の家臣団の内、身分の高かった人です。(土佐勤皇党の武市半平太は、白札郷士です) 下士は、基本的に裸足でしたが、白札郷士は下駄を履く事を許されていました。 ただし、道で上士に会えば、履物を脱いで土下座する等、 とてもみじめな身分には変わりませんでした。 家臣団の重要な役職は、姻戚関係のある身内で固めるのが一般的でしたので、たとえ名前が直接長曽我部で無くとも母方の先祖が長曽我部である可能性は大いにあります、白札郷士であった事とも整合性のある話で、信頼性は高いと思います。 さて、佐藤氏は、藤原系の名前ですが、基本的に戦国時代以前の家系図は、ほとんどが嘘で、江戸時代に入り重要な役職を得たあと、家系図を作成するプロに依頼して作って貰うのが一般的でした、たとえば徳川の家臣団から多くの大名が出ましたが、元は、そこらの農村の自警団の長ですから、当然、名前は適当ですしまして家系図なんて調べ様もありませんでした。だからみんな後で作ったのです。 今回の話の場合、家系図は長曽我部何某から伸びた家系図でしょうから、源氏だ平氏だ藤原氏だと言う家系図よりかえって信憑性はあると思います。 土佐に墓があるのであれば、かなり信頼できる話ではないでしょうか?、それと白札郷士の家系はそれほど多くないはずです、維新に功績の有った土佐藩は資料が多く残っていますので、現地の研究者等にあたれば真偽の程は判るともいますよ。 個人的意見ですが、お爺様のお話は信憑性が高いと思います。

その他の回答 (4)

  • YUZURU
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回答No.5

再回答 三好長曾我部の”三好”は、たぶん地名です。 同族の中で系統を分ける際に、 分派した地名で表す事があります。 例:平泉藤原氏等 四国の場合、現在の徳島県に三好郡があります。 郡部の名称は、古くから使われていた名称が多いので 推察するに、現在の徳島県三好郡辺りを発祥とする 長曾我部氏の末裔であると言う意味だと思います。

noname#14405
noname#14405
回答No.4

菩提寺で過去帳を見せてもらっては。 三好家の一門は三好長慶会、十河同族会などなどが現在もあり、なおも家系は続いています。関心があるのでしたら、加えてもらっていろいろと教えてもらうと話は早いかもしれません。 長曾我部家の末裔も実在しています。野球選手で曽我部選手って阪神かロッテかにいたかと思うのですが、曽我部姓の人はほぼ間違いなく長曾我部の一門です。野球の曽我部選手も自分でそう名のっていた筈です。 大坂の陣で滅びたのは長曾我部の嫡流(本家)で、親戚縁者ぜんぶ(分家など)を一門とした場合、長曾我部の縁戚の人たちが全員、大坂の陣でいなくなった訳ではなく、その血統は今も残っている筈です。 三好一門も長曾我部の系譜も、分家をした場合、まったく別の姓を名乗りますので、たとえば分家の分家とか、系図に出ない部分で佐藤姓があっても不思議はありません。白札郷士とあらば、分家の分家とか何らかの形で長曾我部の血がつながっている可能性は高くなります。 ただ四国には讃岐にかつて佐藤姓の大名がおり、長曾我部家に滅ぼされています。末裔は阿波に多いそうです。

  • comicaltb
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回答No.2

#1です。追加です。 三好氏は近畿周辺が基盤ですので、四国の雄長宗我部氏と婚姻関係があっても不思議ではないです。

jeet
質問者

お礼

ありがとうございます もう少し三好氏について勉強いたします

  • comicaltb
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回答No.1

う~ん、たぶんそれが本当なら、三好と長宗我部の間で婚姻関係があって、どちらの縁者でもあるという意味なのではないでしょうか。ふたつ一緒というのは・・・。ないのではないでしょうか? 2についてはわかりませんが、3については十分にありえます。終了したというのは本家の問題ですから、その下の分家や、更に小さな零細の分家であれば、裕福とはいえない環境で細々と生活していてもおかしくはないです。仮に分家が引責で断絶されても、ずっと下の小さな分家であれば、こっそり目を逃れることもできます。そういった分家はなべて経済的な基盤がありませんから、生活は苦しくなります。第一、本家が断絶となると、分家はかなり苦しいはず。みじめな生活ということもあります。

jeet
質問者

お礼

長宗我部の分家・・・ どこまで遡ればセーフティーなんでしょうね?国親の兄弟あたりじゃアウトかな・・・ 三好氏って三人衆を筆頭になんだかいっぱいいそうです・・・ 家系図の写しでもあれば・・・ どちらにしてもたいした家柄ではなさそうですね ありがとうございます  

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