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呼び出しアクセント
病院などでの人の呼び出しには独特なアクセントがあります。 あの呼び出しアクセントは、先輩から引き継いで行っていると思うのですが、なぜすたれないのでしょうか? いいと思っているのでしょうか? 無理にさせられているのでしょうか? 聞き苦しくてなりません。
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日本には古くから不特定多数の人前でしゃべるという風俗がありませんでした。スピーチや演説、討論は明治時代に福沢諭吉らが中心になって「輸入」したものです。 伝統がないので、日本人は不特定多数の人の前でしゃべるということが不得意ですし、またそれについて決まった型(アクセント、抑揚、表情、しぐさ、文章の流れなどなど)ができあがっていません。政治家やアナウンサーのようにそれが商売である人はそれなりの稽古をするのでしょうが、一般人は特に生活において必要がないのでなおさらです。 しかし戦後になると放送(アナウンス)が身近なものになり、不慣れな人も人前でしゃべらなけらばならない機会が多くなりました。けれども「型」がないからそれによりかかれない。そこで何かこれに近い、日本の伝統的な「型」がないかと考えた末に出てきたのが、浪曲や義太夫のような「人前で歌うもの」だったのだといわれています。ああいうふうにしゃべればいい、と、音楽を「型」にしてしまったために、アナウンスには不思議な節がつくようになったのではないでしょうか。 節がついていつると、歌っている、つまり伝統的な「型」によっているという意識があるために、緊張感やはずかしさが無意識のうちにかるくなります。それを改まって「話す」形式でやろうとすると、参考になるお手本がないのでどうしても不自然で、緊張したものになってしまうのでしょう。 山手線の電車のアナウンスと学園闘争のアジ演説は同じ抑揚で、しかも浪曲にちょっと似ているじゃないか、というのは割とよく国語学者のなかで言われる冗談のひとつです。 もっともこれだけ人前で話すことが当然になった時代においては、「節」の持つ意味もうすれつつあるようですが。
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電車のアナウンスも独特のアクセントです。混雑した中で聞きやすくする為に変わった発音をしていると考えられます。
お礼
そうですね。 ありがとうございました。
お礼
型が無かったから、型を作ったということですね。 ありがとうございました。