ほにゃらか形而左右学 敬語(3)
お世話になります。
敬語について、あれこれ考えてみたのですが、
沢山の有意義なご回答を頂きながら、敬語を掴み切る事が出来ません。
敬語は、思った以上に、手強く興味深い対象のようです。
例えば、
1)敬語は敬意を表わす、言語表現である。
2)敬語は上下関係を明示する、言語規則である。
3)敬語は内外の関係を明示する、言語コードである。
4)敬語は恐れを隠す、コミュニケーションの道具である。
5)敬語は第三者間の上下関係を表わす、言語記号である。
・・・等々
後を、表現・規則・コード・道具・記号としましたがどれも間違いではないような。
そこで、敬語も言語の一つですから、記号論によせて、考えてみてはと思いつき、又してもお願いいたします。
記号論の伝統的定義は、記号は「他の何かを代表する何か」と言う事でしょうか。
但し、記号論は西洋の思想で、名詞句に関しては比較的分かりやすいですが、日本の敬語のように語尾変化・追加等々で敬意・意味に違いをつける場合、なかなか判りにくいですね。
拝見、愚考と言った謙譲語はまだしも、召し上がる、ご覧下さる、と言ったある意味重複しているような場合、はたして記号なのか、つまり、シニフィアンとシニフィエの対の関係もはっきりしません。また、する、を、しなさる、しなされる、と言い換えて、なぜ敬語になるのか。
成立の問題ではなく、意味論的に、例えば「れ」は敬意を意味するのか、とか。
今回の出発地点を要約すると、
詞と辞の違いは日本独特のようで、詞だけでなく、辞の意味作用をシニファイン・シニフィエの表裏と言う比喩で、解決できるのでしょうか。
以前の続きも歓迎いたします。宜しくお願いします。