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槇原敬之さんの「どんなときも」の理解できないところ
いつもお世話になっております。槇原敬之さんの「どんなときも」の歌詞についてお伺いします。 1.なぜ「僕の背中は自分が 思うより正直かい」なんでしょうか。「僕の背中の自分は 思うより正直かい」で宜しいでしょうか。 2.「旅立つ僕の為に~僕かもしれないけど」の意味がよく理解できません。「旅立つ」はどんなことを譬えているのでしょうか。「ちかったあの夢」はいったいどんな夢なんでしょうか。私の理解は今の「僕」は以前の「僕」ほど覇気が足りません。ですから、「追い越せないのは電車でも時間でもなく 僕かもしれないけど」は追い越せないのは以前の「僕」のことを指します。でも、今の「僕」は覇気が足りないからには、なぜ「旅立つ」をするのでしょうか。「旅立つ」は新しい人生を始めると譬えているのではないでしょうか。 日本語を何年間も勉強していますが、まだまだ文章がうまく書けません。質問文の中で不自然な表現がありましたら、それも併せて指摘していただければ助かります。以上、宜しくお願い致します。
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1. >「僕の背中の自分は 思うより正直かい」で宜しいでしょうか。 違うと思います。 日本語には「背中で語る」という表現があります。 哀愁だったり、力強さだったりが背中に現れるものです。 この詩の男性は、自分の頼りない部分を隠して 少し背伸びをしているけれど、 人から見るとこの背中には頼りない自分が現れているだろうか? と、不安になっているのだと思います。 2. >旅立つ僕の為に ちかったあの夢は >古ぼけた教室の すみにおきざりのまま 卒業の時などに将来の夢をアルバムに記したりするんですが、 そういった事だと思います。 つまりあまり現実的でない、子供の頃の他愛のない夢です。 >あの泥だらけのスニーカーじゃ 追い越せないのは >電車でも時間でもなく 僕かもしれないけど 泥だらけのスニーカーは子供の頃の自分を例えています。 あの頃の幼稚な考えでは、描いていた夢の自分には到底届かない、 という事を言っているように思います(ここはちょっと自信ないです)。 【まとめ】 子供っぽい夢は捨てなければと思う現実と、けれども厳しい現実の中でも 夢は持ちつづけていたいと思う気持ち。 そんな、青春時代を過ぎて、大人の社会に出たばかりの男性が持つとまどいを 表現している詩だと思います。
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- sinnkyuusi
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槙原さんの歌は結構いい加減、というか、製作中にいじりすぎて矛盾が多くなってくる事があるというご本人の談話を聞いた事があります。 「もう恋なんてしない」という歌がこのエピソードを語る上ですごく有名ですが、この歌の歌詞に「もう恋なんてしないなんていわないよ絶対」という部分があります。 もう恋はしないぞ!という歌を作っていたら何だか前向きな歌詞になってきたので「なんていわないよ絶対」という歌詞を加えててしまい、結局出来上がったら意図していたものと全然違う歌詞になっちゃった・・・のだそうです。 そもそも歌謡曲は韻を踏む事も大切にしていますから、つじつまの合わない部分がたくさん出てきます。 歌詞で正しい日本語の勉強をするのは難しいかもしれませんよ。
お礼
貴重なご意見ありがとうございました。いい参考になりました。気軽な気持ちで日本語の歌謡曲を聞きます^^
- himeyuri
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皆さんと同じようなかんじだと思います。 >僕の背中は自分が ~ 不安になってしまうよ 言い換えると、 自分が認識している(自覚している)よりも自分の背中のほうが正直さを物語っているかい? 自分ではわからない部分(自覚がない部分)があるかもしれないから、誰かに聞かないとわからない。 日本だけかもしれないですが、 「父親の背中を見て育つ」と言う言葉があります。 父親が仕事で忙しくしていて、話をする機会がない子供が、父親の背中を見れば何を言いたいのか、ものの良し悪しなどを学ぶ ・・・こんな意味合いのものです^^;(一言で言うのは難しい><) 他には本人は元気よくしているつもりでも、他者から見たら「背中が寂しそう」と感じる・・・などで表現されますね。 >旅立つ僕の為に ~ 僕かもしれないけど これは難しい^^; でも、過去、自分に誓った夢に現在の自分がまだ追いついていない(達成していない)と感じてるのでは?と思います^^;;; 正直な私の思いですが、歌詞で使用される「詩」というものは、聞く側によって受け止め方は様々です。 「何となくわかる(理解できる)」という感覚ですね。 ですから、普通の詩とは違って意味が確定しているものではないと思っています。 同じように、和歌、俳句、川柳などもありますが、これらの中で一番意味が明確ではないと思ってます^^; また、先の方が言われるように本来の日本語の勉強のために歌詞(現代の曲)はお勧めしないです^^; 日本語の勉強の延長としてでならいいとは思います。 (こういったものはどちらかというと、日本語ではなく日本の文化に近いかな?^^;) 余談:「譬えているのでしょうか」が読めなかった^^;;;(恥ずかしい^^;) 「比喩」に関連している言葉なんですね^^ よい勉強をさせていただきました^^ お邪魔しました。
お礼
いつもお世話になっております。 意味が良く理解できました。ありがとうございました。 「父親の背中を見て育つ」という言葉はなかなかいい言葉ですね。いい勉強になりました。中国では「背影」(日本語の「背中」の意味)というとても有名な文章があります。これは父親の背中を通して、父の愛情を賛美する強く胸を打たれた名文です。 「譬える」はあまり漢字にしないですね。入力するときにうまく変更できないので、そのまま入力してしまいました。失礼しました^^ 日本語の勉強が疲れている時によく日本の音楽を聴きます。気持ちがよくて、よくいやしてくれます。^^ 本当にありがとうございました。
- company939
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とてもキレイな日本語だと思いますよ。 へんに聞こえる表現は無いと思います。 本題です。 1)ですが、僕の背中は、自分が思うより正直かい?←これは問いかけです。 これは自分自身で問うてるのですよ。 ここでいう僕の背中というのは、自分が今までに学んだ人生経験で悪いと思ったことは悪いと断言できるか? またそのようなことに負けてしまう弱さを振り払うことができるか? など、精神的な強さ(ポジティブな意味で)を自身で誇れるかという問いかけです。 ここの文章の主語は「自分」です目的語は「自分の背中」です。 僕の背中の自分は~・・・こうなると、もう一人虚像の自分がいるようです。(^^;A 誰しも自分の中にいる、悪魔の部分と天使の部分のどちらか・・・がもいひとり背中にいるように聞こえます。 この場合あまり「思うより正直」ですと、犯罪に手を染めかねません。(^^;A 悩んでいる人が、これから犯罪に手を染めるか否かの瀬戸際に立っているようですネ。 あぶない状態です。(^^;A この場合主語は「僕の背中の自分」で、目的語は「正直(かい)」となると思います。 両者にはこんな違いがあると思いますよ。 これは詞ですから、とても難しいと思います。 人によって解釈も違うかもしれません。 2)「旅立ち」ですが、合っていると思います。 別天地や、未知の世界へ踏み入れることを旅立ちと表現することはよくあることです。 ことわざに「かわいい子には旅をさせろ」というのがあります。 これは旅行をさせろと受け取っても間違いではありませんが、どんどん未知の世界へ冒険をさせて見聞を広めろと、教えているのです。 こんなところでいかがですか? お粗末でした。m(_"_)m
お礼
早速のお返事ありがとうございます。 1のご説明がとても面白くて、理解しやすいと思います。2のことわざもいい勉強になりました。本当にありがとうございました。
- cucciolo
- ベストアンサー率44% (93/207)
日本の歌謡曲は、耳に響きの良い単語・字余りになり過ぎない単語を組み合わせているだけで、意味の通らない文章の羅列です。 日本人でも「何となく分かる」程度の理解力です。 「歌謡曲で日本語の勉強」はお勧めしません。
お礼
貴重なご意見ありがとうございました。いい参考になりました。気軽な気持ちで歌謡曲を聞きます^^
- mechahana
- ベストアンサー率18% (7/38)
1「僕の背中は自分が 思うより正直かい」 「僕の背中は、自分が思うより正直かい?」・・・とすれば、すんなりきますか? 2「旅立つ僕の為に~僕かもしれないけど」 基本的にこれは、夢や希望を持ち学校を「卒業」してみたものの、新しい世界(社会)の厳しさの中で、当時抱いていた夢や希望は薄れ、そして自分自身までも見失いそうだ・・・といった意味では??? あれ??ちょっと違う???
お礼
早速のお返事ありがとうございます。 簡潔な言葉で説明していただき助かりました。よく理解できました。本当にありがとうございました。
- RickRin
- ベストアンサー率31% (21/66)
「僕の背中」=「他人から見る僕の姿」だと思います。 僕は正直に生きているつもりだけど、他人も同じように思ってくれているだろうか?という疑問ではないでしょうか。 >私の理解は今の「僕」は以前の「僕」ほど覇気が足りません。ですから、「追い越せないのは電車でも時間でもなく 僕かもしれないけど」は追い越せないのは以前の「僕」のことを指します。 その理解で合っているように思います。 ただ「旅立つ」のはこれからではなく、過去の事です。 「旅立つ僕の為に誓ったあの夢」で1フレーズととらえ、「誓った」というところで、過去のことだとわかります。 過去に旅立ちをしたときに何らかの夢を心に誓った、ということでしょう。 「僕」は、その夢が今も叶えらていないと思っている、正直に夢に向かっているつもりなのに…という若者の心の葛藤を描いているのでしょう。
お礼
いつもお世話になっております。 早速のお返事ありがとうございます。私は「誓った」を「近かった」と間違えました。 ご丁寧に説明していただき本当にありがとうございました。
- ceita
- ベストアンサー率24% (304/1218)
僕の背中は、自分が思うより正直かい? と聞き手に問いかけているのですね。 日本では男は背中に人生が現れるものとして扱われていたりします。 ですので、 自分では感情を隠しているつもりでも、 自分の背中は自分が思っているよりも正直に感情を表しているのではないだろうか、 それぐらい私の感情は高ぶっている。 あなたは私の背中を見て正直だと思うだろうか、 感情を隠し切れているとおもうだろうか? というのを一文で表しているわけでしょう。 「旅立つ僕」も過去の自分です。 学生のころ旅立つ(卒業?)の際に夢を叶えると誓いを立てたのにもかかわらず、 今の僕は夢を叶えていない。 だから、昔の夢は教室に置き去りにされています。 また、教室に夢があるという状況から、 学生の頃から成長していないともとれます。 だから、学生の頃に履いていたスニーカーで、 昔の僕すら追い越せないと歌っているわけです。 残念ですが歌詞の丸写しは著作権を侵害しています。 すぐに消してもらうことになると思います。 次回からは気をつけたほうが良いですね。
お礼
早速のお返事ありがとうございます。 ご説明が理解しやすいと思います。よく理解できました。 歌詞の丸写しのことはこれから気をつけます。本当にありがとうございました。
お礼
早速のお返事ありがとうございます。 「背中で語る」という表現はなかなかいい表現ですね。よく理解できました。ご説明本当にありがとうございました。