- 締切済み
槇原さんNew Album
槇原さんの新しいアルバムの「軒下のモンスター」 歌詞の内容的に男の同性愛者の歌なのだと思うのですが、なぜこの曲を出したのか 槇原さんが同性愛者ではないかという噂は広まってますし、このような直接的な歌はやめたほうがよかったのではと思います。 ファンの中では信じたくない、もしくは知らない人もいるわけですし今まで支えてくれたファンの気持ちは考えてないのでしょうか? 槇原さんは歌手として歌を売り出して活動してますし自信の全てを理解してくれない人はファンじゃないという考えはおかしいと思います。 自身のレーベルを立ち上げたのはこのためだったのでしょうか? また今後カミングアウトする予定なのかどのように活動していく気なのか皆さんの考えを教えて下さい。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
- kazyuhiko
- ベストアンサー率0% (0/0)
自分にはbokusa-さんの疑問に答える事はできません。あくまでbokusa-さんの質問を受けた上での自分の感情を書き連ねますので、それが疑問の解決になれば幸いです。 問いかけであり告白に近い"吐露"、それが自分の感じた「軒下のモンスター」の感想です。 自分で作詞作曲する人は、言葉よりも歌う事で自分自身や、自分というフィルターを通して自分ではない人の中身を外に向かって表現でき、それをやりたくて、やらなくてはいけない必要がある人種だと思っています。とりわけ槇原さんはデビュー当時から今に至るまでそのスタイルを(紆余曲折はあったものの)潔く貫き通してるんではないでしょうか。 カミングアウトに対する反応は人によって様々でしょうし、歌い手として少なくとも「ファン」という世界を抱える彼であれば、その世界に対して配慮する必要もあります。ただそうであったとしても、彼が自分の中身にあるものを素直に外に出せなくなってしまったら、歌手「槇原敬之」である必要はないのではないでしょうか。 おっしゃる通り「偏見」や「差別」という感情はとても人間らしい感情で、決してなくなる事はありません。でも同じように、「愛」という感情もまた人間らしい感情であり、それは「偏見」や「差別」と違って方向性を持たない存在でもあります。彼自身が自分のマイノリティとどう向き合ってるかは知らないですが、彼自信を表現しているその音楽は(とりわけここ数年は)方向性を持たない「愛」で表現されているように思えます。 最初にも書きましたが、僕にはbokusa-さんに対する答えはありません。あくまで僕の考えとして、聴く側の人間が槇原敬之の音楽を通して、歌手「槇原敬之」をどう感じるか。彼の言葉が彼の中身と世界を表現し、歌手「槇原敬之」であり続ける事を「軒下のモンスター」で問われているのであれば、それは潔しと答える、それがbokusa-さんの質問を読んだ時に浮かんだ僕の答えだ、という事です。
- hanamelo
- ベストアンサー率0% (0/0)
bokusa-さん 同性愛について、信じたくないと書いていらっしゃいますが、そんなにひどいことなのでしょうか。 同性愛を軽蔑している様子の貴方には、公表されることはとても苦痛なのかもしれません。 また周囲に知られた時の反響も気になるのですね。 好きな相手がみんなそれぞれ違う、ただそれだけだと思うことはできませんか。 みんなと同じではないと、許されないのでしょうか。 槇原さんが同性愛であろうとなかろうと、彼の歌がよいのは変わらないと思っています。 ファンなら全て受け入れなければならないという縛りもないし、どのように感じるかも自由なのだと思います。 私達に自由な意見が言える権利があるのと同様に、槇原さんにも自由を与えてあげる(その言い方自体がおこがましいですが)訳にはいかないでしょうか。 隠さなければいけないなんて、言論の自由が奪われたような気がして悲しいです。 答えになっていなくて申し訳ありません…。
お礼
回答ありがとうございます。 自分は同性愛者です。 だからこそ近年は理解があるとされる同性愛者への偏見や差別の問題も上辺だけで実際身近に迫るとそれらは今も強いように自身は感じています。 個人的には今回の曲も好きですしもっとマイノリティな内容の曲を聞きたいとも思っています。 ですが槇原さんの噂は多くの人が知っている事から、今回のようなマイノリティな曲=同性愛という風にとらえる方が大半ではないでしょうか? 槇原さんが現在の位置につけたのは自分の意志に反していたとしてもラブソングを中心に女性に支持されてきたからだと思いますし、それを自分の過去経験と重ねて聞いている方も多いと思います。 それが今回の曲で槇原さんが同性愛者=今までの曲も…と嫌悪感を感じる方がいないとは思いません。 個人的には残念ですが偏見や差別はとても人間らしく仕方ない事だと思います。 それを知った上で聞く聞かないは自由ですが、今回の曲は明確な発表も無いまま同性愛者という事を公表しているように感じます。 今まで同性愛者として公表せず歌手として活動してきたからこそ このような曲を出すならカミングアウトした後がよかったのではないか。 する気がない若しくは槇原さんが同性愛者でないとしても上記の事を考えるとこのような曲は控えた方がよかったのではないか。 今回は自分や周りの感情に動かされ自分本位な勢いだけで出したのではないかと自分は考えます。 槇原さんの歌詞は共感できたり自分の中になく個人的に素晴らしい考えだと参考になる歌詞がたくさんあります。 ですから自分にはない考えを持って今回の曲を出したのかもしれませんがもちろんそれは解りませんので他の方の意見を聞きたかったのですが不快に感じたのであればすいませんでした。