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日本に英語が入って来たのは。。。
今、私は英語について調べています。 そこで知りたい事があるのですが、 日本に、現在学生が学んでいる英語が入って来たのは いつなのですか? また、そういった資料や本などがありますか? どなたか、ご存じでしたら教えて下さい。 お願いします。
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「現在学生が学んでいる英語」というところで、何を指しておられるのか、言葉が足らずわかりませんが、補足を頂けたらと思います。 以下、適当に記憶で書いていまので、その程度の積りで読んでください。より詳しい人の正確なフォローがあるかと思います。 江戸幕府は1639年から鎖国政策を開始しました。その後は幕末まで、江戸幕府が西欧諸国の中で、(鎖国といいながらも実質上の)交流相手としたのは、オランダでした。その上交流窓口も長崎出島のみに限定するという厳しさでした。よって、当時の日本人にとって、西欧の文明(医学・科学技術)を取り入れる際の、公式の門戸となった言語は、オランダ語になります。日本語の地名である「八重洲」、土曜日の「半ドン」、博多の「ドンタク」などはオランダ語由来という説があるぐらいです。 ところが、江戸末期になって、米国のペリー率いる黒船が浦賀(でしたか)に来航し、江戸幕府に開国を迫りました。この時が、決定的な時期ではなかったかと思います。江戸幕府は、開国を主張する人たちと、鎖国の継続を主張する人たちで、混乱しました。ただ後者は国外のことを実質的に知らず、鎖国の継続が結果的に国益を大きく損なう可能性を見通していながら既得権益のために無視したか、あるいは、知らなかったと言われています。この時期の欧米の科学技術による軍事力は日本の鎖国状態による低水準の技術からすると、圧倒的に勝負は見えていたので、日本を救うためには、どうしても開国して、戦いを避ける、必要があったことは明白でした。 この時期の政界の混乱でいくつもの内紛があった後、結局日本は、明治維新を行って、開国します。抵抗勢力との戦いもすごいものだったらしいですが、この頃の日本の偉人たちの努力がなければ、日本はいまどうなっていたか考えると恐ろしいことです。この明治維新以降、米国との接触を主とした開国が始まり、英語の取り入れがはじまったものと思われます。その後の、吸収のスピーディさを打ち出した政策の適確さは、その直前の鎖国政策に比較すると、驚嘆に値するものです。
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当時の時代背景はfinetoothcombさんが述べられている通りです。 わが国の外国語との係わり合いは古い順番に韓国、中国、スペイン・ポルトガル、オランダの順になります。英語との接点は幕末になってからです。 日本人で英語を最初にマスターした人は中浜 万治郎(ジョン・ 万治郎)ではないかと思われます。彼は今の高知県出身の漁師で、1841年、台風で難破したところをアメリカの捕鯨船に助けられて米国に渡り1850年に帰国するまでアメリカで英語や航海術、捕鯨術などを学びました。帰国後は幕府に通訳として雇われています。 1853年アメリカからペリー提督が4隻の軍艦を率いて来航し鎖国をしていた幕府に開国を迫りました。交渉はオランダ語で行われました。当時の日本ではオランダだけが長崎に駐留を認められた西欧の国で、日本はオランダ(語)を通じて世界の動きを掴み、科学技術を導入していたのです。ビール、オランダ、カメラ、ドクトール、レンズなどの言葉は当時から日本語に取り入れられ今日でも使われています。 1860年、幕府はアメリカに使節を送りアメリカと正式に国交を結びました。このときには既に英語の通訳が育っていました。福沢諭吉も英語の必要性を認識して英語を学んだといわれます。 1858年、幕府は英語学校を長崎に設立し紆余曲折を経て明治初期に日本初の外国語学校に発展しています。
お礼
こんなに詳しく。。。。。 ほんとにありがとうございます。 ペリーが来航した時、英語じゃなくオランダ語だったんですね。 歴史の勉強になりました。 ありがとうございました!!
補足
すみません、言葉足らずで。。。。 英語にも、日本語でいう古語みたいなものがあるかもしれないと思った ので、「現在の学生が学んでいる英語」としました。 しかしながら、finetoothcomb さんが答えてくださったこの回答はまさしく、 私が望んでいた回答です!!! 言葉足らずだったにもかかわらず、ここまで回答して頂きまして、 誠にありがとうございました。