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人生が苦であるなら
30代独身男性です。 お釈迦様によると、人生が苦であるそうですが、苦であると分かっている人生おいて、子供を産むべきなのでしょうか? 子供にしてみれば、「苦であると分かっているなら産まないで欲しい」と言われそうです。 一般人には難しい「苦を離れて解脱する」方法を説かれても、初めから生まれなければ苦そのものが無いのではと思って悩んでいます。 結局は親のエゴで産むのでしょうか? 人類の存続の為に産むと言われても、他の生態に比べて問題の多い人類の存続がそれほど大切なものとは思えません。 皆さんどうお考えでしょうか?
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- mmky
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参考程度に お釈迦様は、出家前の王子の時代に確かに、人生「四苦」と見て、その意味を賢者に尋ねたのですが誰もその意味を答えられなかったので、自ら出家して悟りを開かれ、同時にその意味を理解されたので、それを伝えたのですね。それが仏教となったのです。 その答えは、「人生は、「四苦八苦」である。生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病む苦しみ、死ぬ苦しみなどがある。しかし、これは本当のものではない。人間は霊体が本質であり本来、苦などない、本来、霊としての天国の住人である。しかし数十年の間、肉体に宿って修行しないと、霊としての進歩もない、それ故、肉体人生経験という苦を背負うのである。霊としての本人が決めてくる修行であり、その意味で背負いきれぬ苦などない。」というものでした。 あの世から、生まれてくるのは、大変なことなのですね。あの世の区役所に頼み込んで親を選び、母の胎内に宿って1年、暗闇の中で耐え、おろされるかも知れない恐怖に耐え、だから生まれてきた時は泣くのですね。仏教では、五逆の大罪というのがあります。これを犯すと無間地獄というところで永遠とも思える時間を過ごさないといけないという罪です。その1つが親殺しなのです。親には生まれるに際して「大恩」があるからなんですね。これは、道徳ではありません。霊的事実ですね。親が勝手に子を生んだという唯物論的考えでしたら五逆の大罪には入りませんね。だからそれは間違いなんです。 ということで、親になるということは、他の魂に肉体修行の機会を与えるという崇高なものです。親もうれしいが、親以上に子はうれしいのです。それを知らないといけないですね。
人間も動物の一種ですから、苦楽とか、イデオロギーより前に、生んでしまう、あるいはそれほど動物性の強くない人でも、自分の遺伝子を一部コピーする存在が欲しいと思って作るんではないかと思います。 また、決して多くはないでしょうが、子育てというライフスタイルが好きという人もいるでしょう。 人間に限らず、生物の各個体が種の保存などという大文字のテーマで、生殖活動にいそしむということはあまりないと思います。 一部、一時、宗教的、イデオロギー的に性のそのような目的化や産めよ増やせよということはありましたが、現代人にとっては、まあ自分の環境設定としての生殖ということでしょうね。
お礼
回答ありがとうございます。 御礼が遅くなって申し訳ありません。 「自分の環境設定としての生殖」 なるほど。子供がいると、社会的立場も上がる(気がする)し、私の周りの子供のいる人の多くは、「子供かわいいよー」って言いますね。 参考になりました。ありがとうございます。
- betagamma
- ベストアンサー率34% (195/558)
そういう議論に陥らないために、仏法の輪廻転生があるのだと思います。 確かに、お釈迦様は、「苦を離れて解脱する」ことを説かれました。しかし、これだけでは、Hamlet_2004さんのおっしゃる通り、「ならば、最初から苦がないように生まれなければいい」とか、「苦から逃れるためには、死ねばよいではないか」という議論に陥ってしまいます。 しかし、仏法には「輪廻転生」という根本原則があります。「苦を離れて解脱する」という考えは、この根本原則の上にたつものです。 輪廻転生とは、あらゆる生き物は、死んでも違う形で生まれ変わるのだ、ということです。つまり、たとえHalmet_2004さんが子供をもたれたとしても、それは誰か(人とは限りません。虫・獣・その他である可能性もあります)の生まれ変わりであり、0から子供が生まれたわけではないのです。Hamlet_2004さんが子供を生まなければどうなるのか?Hamlet_2004さんの子供として生まれ変わるはずだったのが、他のものの子供として生まれてくるだけです。そして、生まれてくれば、そのものはまた生の苦しみを受けます。 つまり、Hamlet_2004さんが子供を生む・生まないにかかわらず、Hamlet_2004さんの子供として生まれてくるもの(魂)は、生まれてくるものの苦を受ける運命にあるのです。 こういう前提があって、初めて、「では、この繰り返し(輪廻転生)から抜け出す道はないのか?」と問うのが「解脱」の道です。多くの宗派でさまざまな解脱の方法が説かれますが、その根本には輪廻転生->解脱への模索、という構図があることを忘れてはならず、それなしには理解できません。
お礼
御礼が遅くなりすいません。 回答ありがとうございました。 お釈迦様も、なかなか難しいことを考え付きましたね。お釈迦様が一生かかって考え付いたことを、われわれ庶民が仕事をしながら達成することはできるのかなぁ? となると、お釈迦様みたいね解脱するために、一億総勢出家しないと難しいのかなぁと最近思います。 参考になりました。ありがとうございます。
補足
私も解脱とか涅槃が輪廻転生から抜け出す事だと聞いたことがあります。 お釈迦様は輪廻転生から抜け出すために頑張った。と言うことは、これ以上生まれ変わって、人生を経験したくなかったのかなぁと思いました。 また、No.9さんも言っていますが、お釈迦様は輪廻転生について述べたのでしょうか?
動物(人間)は、集団(家族)を持って、安定生活できるよう遺伝子が記憶しているのに、独身で生きることこそ、 他の生態に影響を与えるのでは??? コンビにとかワンルームマンションとか、それこそ、生態破壊型商品ですよね。
お礼
御礼が遅くなってすいません。 なるほど、そういう考えもありますね。 独身で生きても、自炊してつつましく過ごせば良いということでしょうか? 他の生態への影響という点では、人間が増える方が、他の生態に影響が及ぶのでは?と思ってしまったりしました。 単なる疑問で反論じゃないですよ。確かに、一人暮らしって、あまり効率的じゃないですね。食材買ってももあまるし。 参考になりました。ありがとうございます。
- yamikuro3
- ベストアンサー率17% (92/523)
苦であるからこそ生きろということではないのでしょうか? 何の苦労もせず楽して一生を終えて何のための人生だったのかということでしょう。 また別にお釈迦様のおっしゃった事が真理とも限りません。 「嘘も方便」と言ったのも(と伝えられるのも)お釈迦様です。 自然を素材としたTV番組では、よく子育てをする動物の生態が紹介されますね。 生んだ子の大部分が生き残れない環境の中で、必死で餌を与え、外敵から守り、時には突き放し時には見守り、そういう親を見ていると生命の意味の本質も少し見えるような気もします。 私も四十歳代で独身です。 質問者さんと同様の危惧を抱いた時期もあります。 でも結局それは自分に自信がないとか、責任を持ちたくないとかの為の言い訳に過ぎないのかもしれないなと最近思っています。 いずれにせよ人類の為ではなく、自分の為に考える問題ですよね。
お礼
回答ありがとうございます。(遅くなってすいません) 「お釈迦様のおっしゃった事が真理とも限りません。」 そうですね。この自分で考えつかない、なるほどと思えるご意見が伺えるのが、このHPの良いところですね。 「でも結局それは自分に自信がないとか、責任を持ちたくないとかの為の言い訳に過ぎないのかもしれないなと最近思っています。」 うっ、するどい。おっしゃるとおりの部分もあると思います。子供に「何で産んだんだ!」と言われた時に、自分がとても辛いと思います。もちろん子供のことを思って、辛い部分もあります。 「いずれにせよ人類の為ではなく、自分の為に考える問題ですよね。 」 そうですね。幸せの形は、人によってばらばらですものね。私は欲張りなのだと思います。だから人生に不平不満が多いのだと。でも欲を無くせといわれてもなくせませんし、元々欲をもって生まれた人間が、欲を無くしたらロボットみたいな気がします。 ありがとうござました。
- suna4903
- ベストアンサー率40% (13/32)
私は30歳の結婚している男です。 昔(20代前半の頃)似たようなことを考えていた時期がありました。 こんなに生きることが大変なのに、なぜ生まれてこないといけなかったのだろうか? 人はなぜ生まれてくるのだろう? でも好きな人ができて、結婚して、子供ができて、子供が歩くようになって、子供が話すようになって、一緒に遊ぶようになって・・・ と時間が過ぎてくうちに、正直哲学的な生まれてくる意味など、私にとってはあまり意味のないことだと気づきました。 私にとって家族は、守らなければいけない存在で、一緒にいたい存在で、大切な存在・・・つまり自分が幸せであるためには嫁さんや子供が必要なんです。 今家族をすべて失ったら、自分が生きている理由を見つけることが難しいかもしれません。 これはエゴと言えばエゴでしょうけど、普通の人間が一人では生きていけないから、友達や家族、そして特につながりの深い自分の子供を欲しがるのではないでしょうか? 現実が厳しいから、より自分に近い存在を欲しているのかもしれないですね。 はっきり言って、私も人類の存続の為と言われてもなんら感銘を受けませんね^^ 「人類を存続させる」なんていうのは、どこぞの独裁者が考えるような夢物語レベルの話であって、人間一人一人にとっては、自分が生きていた結果、人類が存続しているに過ぎない気がします。
お礼
御礼が遅くなって申し訳ありません。 同じようなことを考えていた方が、将来幸せにすごしている様子を聞くと、希望が持てます。 私もこのような疑問を提起していますが、本当は「人生は子供が生まれてよかったと思えるようなものであれば良いなぁ」と思います。ただ、日々の大変な生活の中で、それを自信を持って子供に示せないので、皆さんはどうしたのだろうと思い、質問させていただきました。 人が「なぜ、やらなければならないのだろう?」と疑問をもつ時は、その対象に対して好意を抱いていない時だと聞いたことがあります。(イチゴパフェが好きな人が、なぜ私はイチゴパフェが好きなんだろうとは、悩まないですよね) suna4903さんは、人生に対して好意をもてるようになったので、疑問を感じなくなったのだと思います。私もそうなりたいと思います。 ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 御礼が遅くなって申し訳ありません。 「しかし数十年の間、肉体に宿って修行しないと、霊としての進歩もない、それ故、肉体人生経験という苦を背負うのである。」 なるほど。参考にさせていただきます。 ありがとうございました。
補足
「親になるということは、他の魂に肉体修行の機会を与えるという崇高なものです。親もうれしいが、親以上に子はうれしいのです。」 と言われた時に、「なるほど、そうなんですね!」と素直に受け入れられない自分もいます。 数々の大切な教え(教義)がある中で、人がその中のひとつを選ぶのは、その教えに納得するからだと思います。