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法を守る根拠を知りたいです。

ろくに調べもせずこちらに質問してしまうのですが。。 なぜ私は法律を守らなければならないのでしょうか。 誰がそれを決めて私に守らせようと強制力を働かせるのか。 そして守らないと国家権力によって罰せられるようになっています。 法治国家だからその国の法を守らなくてはいけないと言うのでしたら、そう言う条文を明記したものがあるのでしょうか。 法を守らなければならない根拠が知りたいです。 (別に変な事を思ってるのではなく、ふと知りたくなっただけです^^;)

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  • je77
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回答No.12

こんにちは、#11です。 北朝鮮にも憲法のようなものは存在することは存在すると思います。しかし、それが日本や欧米諸国のようなものと比べるとかなり趣の異なったものだと思います。 北朝鮮の法は具体的には全く知らないですけれども、法の支配という意味での法は皆無に等しいと思われます。北朝鮮の現体制を維持するための制度としての法でしかないと思います。ここには正しい法が最上位(法の支配)であるという考えはありえません。 日本の近代法の大事件で大津事件というものがあります。 当時、ロシアは日本侵略の機会を窺がう国家のひとつでした。ロシア皇太子が日本に威圧をするために来た時に、警察官がロシア皇太子を刀で切りつけるという大事件が起こりました。 日本政府は戦争が起こる!このままでは日本はもうだめだと、当時の法律では本来終身刑までしかできなかったのに、司法に圧力をかけて死刑にして、ロシアにお詫びするべしとしました。 しかし、司法はこれに屈せず終身刑を判事します。 これが返って、欧米諸国から日本には「法」があると印象づけられることになって、不平等条約の解決に繋がっていきます。 ロシアも正しい法を執行した国に文句を言っては、他国から後ろ指さされかねないと不問にします。 こうして未曾有の危機は防がれたという事件です。 法に基づいた政治がなされることは他国に対する信用になります。 野蛮な制度の国とは正直あまりつきあいたくないですよね。 わけのわからない処罰がされたりします。 他国民であってもその国にいる以上その法でさばかれます。(しかし逆に裁かれないとなると、その国は他国民がやることに何の文句も言えないことになる。治外法権) 法の整備は急務であり、世界中の国家がそれに勤しんでいることと思います。 現在の考え方である法の支配も近代になって、アメリカ独立宣言やフランス革命などでようやく形になったもので、あんまり歴史は長いものではありません。 実際の運用である法律も人間の作ったものなので、当然完璧ではないです。 日本も明治維新以降なったもので歴史は浅く完璧とはほど遠いでしょう。 法の支配と似て非なるものに法治主義があります。 法治主義というのは法律に基づいた政治をするということですが、その法がいかようなものでもかまわないという点が法の支配と大きく違うところです。 これはどんな国家体制にも結びつくもので当然日本もあてはまりますし、北朝鮮でも結びつく可能性はあります。しかしここに正義があるとは限りません。 法の支配に基づいた、法律の作成、運用を各国は進めなくてはなりません。 しかし、悪法もまた法であり、人間が作る以上、そんなものも出てきます。 しかし近代国家は民主主義国家であり、そのような法律はなくすよう国民は参政することができます。 しかし、日本では55年体制以降、自民党支配によって、あまり国民が作ったという考えは湧いてきません。いくら民主党が躍進したといってもです。 憲法には近代法の当然の原理として明記されていませんが、抵抗権というものがあります。 国家が法の支配に違反してめちゃくちゃしたら国民はそのような政府をつぶすことができるというものです。極論ですがクーデターも可なりというわけです。 基本的に国民が国の舵取りをするのは当然なんですね。 しかし、日本ではこれがあまり根付いていません。 他国では大統領選で国民総出の大論争になったり、国の施策に反対して大規模なデモが行われたりします。 国民には悪法があればそれを改正するよう動く権利があるんです。 そうしたプロセスを経て悪法はなくすようにすべきなんですね。 しかし、それがなされない以上、社会秩序のためには悪法もまた法として対応しなくてはなりません。個人個人に異なった対応をしてはあまりに不公平になってしまいます。 法によって秩序を形成し、悪法があれば国民は法律を守らないのでなく変えていかなければならないですね。 また最近権利主義が横行しつつありますが、権利は誰しもあるわけで、権利に対して制約があるのはそれがそれぞれに内在しているからなんです。 公共の福祉という大きな外圧があるのではなく、それぞれの権利に内在している。あなたの中には全ての人間が存在しているという考え方です。 だから他人の権利は侵せないんだということです。 公共の福祉には色々学説がありますが内在説はおもしろい考え方ですね。

Ryu831
質問者

お礼

お礼が遅くなりすみません。je77様のご回答、とても興味深く読ませていただきました。法律素人の自分にも噛み砕いてご説明していただき、本当に感謝します! 法の重要性、分かった気がします。 法治主義、これは恐ろしい一面をもっていますね。 今の北朝鮮やかつてのソ連、「反革命」の一言で捕まり処刑されてしまう。。反革命者は捕らえて処刑すると言う法律があればそれはそれで恐ろしいですし、法がないため権力の一極集中によってなされてる事なら、尚更法の重要性が分かります。 とても参考になるご回答、ありがとうございました。 いろいろ勉強になりました!

その他の回答 (11)

回答No.1

 つまり、「法は守らなければならない」という法律(のようなもの)が存在すべきということですか?それがあったとしたら、そのまた根拠というのが必要になるでしょうね。あはは、禅問答みたい。  高崎山のサルにも秩序というのはあるのです。それが、「法」という、誰にでも分かる方法で体系づけられたのが「法治国家」というものではないですか?  よく、「完全に自由な世界を理想とする」輩がいますが、1億人以上の人間がひしめくこの日本で、そんなことをしたら住めたもんじゃありません。  大切なのは、法の成立のプロセスが民主的であるということで、法律を守るということは集団生活で生きていくうえでの根源的なものです。私はサル以下になるのは嫌ですねえ。

Ryu831
質問者

お礼

さっそくのご回答ありがとうございます。 そうですねぇ、、確かに「法は守らなければならない」というための法律を作るとなると、またその根拠が必要になる、、そんな単純な事さえ気づきませんでした(^^;)。 秩序を守って生活してゆくための最低限のルールとして法があるんですよね。でも我々は(私は?)普段、法を守っていると言うよりも、秩序を守っていると言う意識の方が強いです。 参考になりました。