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人は何かに固執することで、恐怖心を回避している?
人は何かに固執することで、恐怖心を回避しているんでしょうか?
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私自身、過去の経験から、「人は何かに固執することで、恐怖心を回避している?」というご質問に対して、その通りだと感じています。 また、ここで質問されるということは、おそらく、無意識ではあっても本当はすでに答えをご存じなのではないかと思います。 私の場合は、若い頃からずっと、学校や会社などで特定の人に対して強い対人恐怖を感じる傾向がありました。 自身で恐怖心を認識していながらも、恐れていることが現実になるのが怖かった反動で、恐れていないフリをしたり、わざと強がって見せたりしていました。 精神的な回避行動というものかもしれません。 この場合は、肉体やお金、自己イメージといったものに固執していたのだと思います。 人によっては、お酒やギャンブル、無駄遣いなど、何らかの中毒的な逃避行動を取る人もいるのでしょう。 精神的なものにせよ、物質的なものにせよ、何かに固執することで、感情的な痛みを直視しなくて済むため、そのような反応パターンを形成してしまうのでしょう。 恐怖心というものについて深掘りしてみますと、その根底には「個としての『私』を維持させておきたい」という深層心理が働いているように思います。 通常の意識状態では、個としての私とは、私の肉体、私の思考、身体的感覚、「これが私だ」と信じる自己イメージや信念体系のことを指すのではないでしょうか。 この「個としての私」という「概念」は、赤ちゃんのころには全く無いか、あってもとても希薄なものですが、3,4歳ぐらいから脳の成長に伴って、いわゆる「自我」という精神的な衝動として生じてきます。 その結果、通常の成長過程においては、肉体の皮膚の内側、特に目の奥の神経が集中している箇所に「私」という個人的な主体がいて、この個人的な私が「外側」の世界を認識して対峙している、と捉えるようになります。 つまり、自我や思考の発達によって、「想像上の」境界線がイメージされ、主体としての私と、客体としての世界が創り上げられていくわけですね。 この3,4歳ごろから後付けで創られる、個人的主体としての私という感覚はあまりにも強烈であるため、単なる想像物であることに気づく人は極めて稀なようです。 あまりにも強烈な感覚なのですが、本当は実在しない思考の産物だということは、だれもが本質的にわかっているため、人生というものは概ね何となく不安でおぼつかないものになってしまい、その結果、何らかの依存できる対象を常に探し続けて一生を過ごしてしまいます。 思いつくままにダラダラと書いてしまいました。 最初のご質問に対する回答に戻りますが、通常、人は何らかの対象物に固執することで、主体としての私(という概念)を無意識に存続させ、恐怖心を回避しようとしていると考えます。 ここでいう対象物とは、お金や所有物、家族、仕事、パートナー、自己イメージ、将来の希望、過去の記憶など、客体として捉えられるものであれば物質的なもの、精神的なものにかかわらず、何でもそれになり得ますね。
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- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
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a) 実際、現代人の多くが、死という恐怖に怯えています。死から逃れるのは困難なので、刻々と死という恐怖が迫ってきます。 例えば、有名に、なっても、お金持ちに、なっても、死の恐怖は消えません。だから、死から逃げようとするどんな努力も、結局徒労に終わります。 b) 哲学的、宗教的に、死を学んで、死後に希望を持ち、死を受け入れるしか無いのです。
お礼