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1930年代の日本は民主主義を敵視し?
1930年代の日本は民主主義を敵視し、「民主主義者に気をつけましょう」などというポスターを街角に掲示したりしていたんですか?
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>1930年代の日本は民主主義を敵視し、「民主主義者に気をつけましょう」などというポスターを街角に掲示したりしていたんですか? 後段の「ポスターの掲示」は回答者は聞いたことがありません。 前段は微妙です。戦前はdemocracyの「国家の主権が人民にある」という内容が、天皇主権の日本の国家のあり方(国体)に反する危険思想だとみなされていたことは事実で、そのため吉野作造などはdemocracyの訳語としてあえて「民主主義」ではなく「民本主義」を唱えたりしています。 一方で国家の主権の問題を別にすれば、民主主義の基本的な考え方に対して、日本人の多くが敵視していたとまでは言い切れません。当時も(選挙権・被選挙権が男性に限定されるなど)現在から見れば十全とは言えないものの議会があり、「政治に民意を反映させるべきだ」という考え方まで敵視していたとは言えないからです。1930年代より少し前の大正時代には(後の時代に)「大正デモクラシー」と呼ばれたような実質的な民主主義を目指す風潮・動きもありました。天皇の主権のもとでの(国体に反しない範囲での)制限された民主主義ということです。 ところで1930年代と一口に言っても、1930年(昭和5年)と1939年(昭和14年)とでは大きく異なります。昭和5年は満州事変が起きた前年にあたり、昭和恐慌の真只中でしたが、対外的に「いくさ」をしてはいませんでした。昭和14年は第二次世界大戦がヨーロッパで勃発した年で、日本も前年に国家総動員法が成立して戦時体制が強化され、異論を許容しない傾向が強まっています。
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- oska2
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>「民主主義者に気をつけましょう」などというポスターを街角に掲示したりしていたんですか? ポスター貼りなどは、ありません。 ただ、今のロシア・中国・北朝鮮と同じ状況でした。 日本のプーチンであり、日本の習近平皇帝であり、日本の金正恩が「天皇」だったのです。 「立憲君主制だから、天皇に政治的・軍事的な力はない!」と言うのは、天皇制維持目的の敗戦後の考えです。 ※極東軍事裁判でも、東条英機は「陸海軍及び政府は、天皇陛下の命令で動く。命令がないと、動かない」と述べていますよ。 天皇の下に各大臣が存在し+天皇の下に陸海軍が存在しした。 ※当時の首相に、各大臣の任命権・罷免権は存在しない。 ※各大臣は、首相と同じ権限を持つ。 当時の国民の多くは、「民主主義的な考え方は非常に少数」だったのです。 この天皇中心主義が、普通でしたから・・・。 唯一民主主義+暴力革命を目指していたのが当時の共産党(現、立憲民主党+日本共産党=立憲共産党)なんですね。 天皇制廃止を目的にしていましたから、「警察・公安は、徹底的に共産主義者・社会主義者を不安分子として摘発」しました。
- 69015802
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民主主義とかの主義主張ではなくではなく、「天皇陛下万歳、為政者(特に軍を中心とした官憲の言うことを聞け。それに反対する奴はすべて敵(非国民)」ということで戦争に邁進したわけです。
- カレーライス(@yasaichippusu)
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1930年代の日本においては、確かに民主主義が敵視されていた時代背景がありましたが、「民主主義者に気をつけましょう」という具体的なポスターが広く掲示されていたかどうかは、証拠が薄いことを認識しておくべきです。 また、1930年代の日本は軍国主義が台頭していたため、民主主義の理念が脅かされていたのは事実ですが、政治的な状況の複雑さを無視しているように思えます。
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