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日本の民主主義樹立はいつから?

日本が民主主義国家になったのはいつでしょうか? 明治維新の時ですか? であれば、第二次世界大戦時の日本やドイツも民主主義国家となりますので 「民主主義国同士は戦争はしない」という学説は、どういった基準で出来上がったのか教えて下さい。

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  • EFA15EL
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回答No.3

国際政治学でよく出てくる学説ですね。 1980年代にマイケル・ドイルが発表し、ブルース・ラセットがまとめていますね。 クリントン政権が部分的に採用し、諸外国の民主化の理論付けに使った事で注目されるようになりました。 (世界の民主化を進めれば戦争が減る→自国の安全も高まるという理論です) この論文の主旨は、戦争が起こる時にはどちらかの国家(あるいは両方)が民主主義の形をなしていない、というものです。 健全な民主主義国家同士であればまず協議から始まり、武力以外の方法で解決が図られる、と。 マイケル・ドイルは過去200年の国家間の戦争を検証した結果を発表しているのですが、 この場合の民主主義国家というのは、当事国がそう主張したからではなく、 政治状況や体制、制度が民主主義国家として成り立っているかを彼が判断した結果となっています。 例えば男女普通選挙が成立しているかといった制度的な条件もあれば、 軍事政権になっていないかなど政治状況的な条件もあります。 (この辺が論文中では厳密に定義されていないのが批判されるポイントでもあるのですが) それで言えば、日本が民主主義国家となったのは少なくとも戦後ということになります。

hoot-mt
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ありがとうございます!大変参考になりました。

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  • jyuedan
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回答No.5

明治憲法は、法の支配による国家の運営という事を決めたという事で、近代国家の道を歩み始めたという事にはなりますが、これを民主主義の実現とするのには疑問があります。 普通選挙の実施で評価する方法を取った場合、民主主義の種類で評価が異なります。 (その国民全てが民主主義に相応しいレベルにあったのか?という問題はここでは無視します。) 1:広義の民主主義 男子普通選挙(男子にのみ選挙権が与えられる。) 2:狭義の民主主義 男女に関係なく選挙権が与えられる これらは、どちらも納税額や身分には関係ないという前提です。 その選挙権の各国の状況ですが、 1867年 ドイツ(北ドイツ連邦)で男子普通選挙が実施される。 1870年 アメリカで全人種の成人男子への選挙権付与が連邦憲法修正第15条により義務付けられる (南部ですべての州で人種に関わらず普通選挙が保障されたのは1965年) 1879年 ブルガリアにおいて男子普通選挙が実施される。 1918年 イギリスで男子普通選挙が実施された。 1919年 ドイツ共和政において、世界初の完全普通選挙が実施された。 1920年 アメリカで女性参政権を認めることが連邦憲法により義務化。 1928年 日本で衆議院選挙が、男子25歳以上(最初の男子普通選挙)で実施された。 1928年 イギリスで女子(21歳以上)に選挙権が認められる。 1945年 日本で婦人参政権が成立した。 1945年フランスで女子(21歳以上)の選挙権が認められた。 >明治維新の時ですか? >であれば、第二次世界大戦時の日本やドイツも民主主義国家となりますので 狭義の普通選挙で計れば、WWII前の大概の国は民主主義ではないことになりますね。 日本はむしろ、明治維新から凄いスピードで進歩していると思いますが。 それに民主主義は、国民のレベルに大きく依存するもので、安易に導入すれば腐敗や衆愚政治に陥り、結果として軍事独裁や警察国家に成り下がります。実際そうなってしまった国の方が多く、日本は大成功した稀有な例だと思います。 戦争で中断しましたが、降伏ではなく、講和によって終戦し連合軍の統治を経なかった場合の事も考察しなければ、評価はできないと思います。 日本が終戦後、連合軍によって民主化されたというのは、GHQによる操作された情報です。 これをWGIP、ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラムと言います。 連合軍は、日本が再び逆らう事のない様に、精神面から弱体化する為に、戦争の責任は全て日本にあるという宣伝をしました。(だいたい、戦争は国家の権利であって、勝敗に関わらず責任を負う必要はありません。) しかし、国民自体は、日本政府に騙されていた被害者であるとしました。 これを受け入れた場合、国民は罪悪感からは解放されますが、代償として国に対する信頼を失い、愛国心やアイデンティティを喪失し、以後自虐史観による連合国に対する劣等感を抱えることになります。 一方で、連合軍は単なる戦勝国ではなく、悪い政府から助けてくれた正義の解放者になることができ、占領政策や、独立後も影響力を保持できます。 個人の権利(表現・思想信条・結社・集会の自由・)も民主主義の重要な要因だと思いますが、 これで計った場合、戦争中の殆んどの国は民主主義ではなくなります。 スパイや工作員によるプロパガンダや情報漏洩を許す国など、平時でもありません。 更に、自由の国を自称するアメリカなどは戦後も共産主義を公然と弾圧しています。 欧米などは、ナチを擁護したり、ホロコーストを否定するだけで犯罪となっています。 最近は、日本でも隣国のポップカルチャーを否定すると同じような扱いをうめるようです。 その隣国では、親日的な言動をすると、生命すら危険に晒されるそうです。

hoot-mt
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ありがとうございます!

回答No.4

日本は明治維新を経て、立憲君主制という民主主義の一つの形態に移行しました。 第二次世界大戦当時のドイツは選挙で選ばれた国家社会主義ドイツ労働者党を与党とした民主主義の一形態です。 実際のところ、選挙が妥当・公正か否かの問題は常に存在し、現代日本の国政選挙は最高裁判決によって違憲とされていますが、違憲選挙で選ばれた民主党が与党として政権を担っているのが現実です。 民主主義が独裁制度かという政治体制区分とは別に、人類の歴史上、戦争を容認している時代があったことを忘れてはなりません。当時、戦争は国家の権利であり、宣戦布告をしてから攻撃を開始するべし、という国際的ルールがあった程度で、戦争自体を否定する国際法はありませんでした。(現在でも国際法で戦争を全面的に禁止するには至っていませんね) ご指摘の学説は「1980年以降は、民主主義国家同士は開戦しない」と解釈すればよいでしょう。 なお、当然のことですが、学説が真理ではありませんので、学説で説明つかないことが今後も起こると思ってください。

hoot-mt
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ありがとうございます!大変参考になりました。

  • hekiyu
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回答No.2

民主制といっても、大きく分けて二種類あります。 形式的民主制と実質的民主制です。 形式的民主制てのは、議会制を採るなど、外形は 一応民主制に見える、というものです。 維新後、大東亜戦争前までの日本はこれだ、という ことになっています。 実質的民主制てのは、国民の権利保護が第一となり その為に権力分立とか司法独立とかが確保されている 現在の先進国タイプの民主制です。 日本では、大東亜戦争後これにさせられました。 ドイツは、第二次対戦時は既に民主制国家でしたよ。 ヒトラーは民主制が産んだ鬼子である、と言われました。 欧州は、世界で一番早く民主制を敷いた国ですが、 戦争ばかりやっていました。 そのお陰で軍事技術が発達し、世界を席巻することが 出来ました。 民主制国家が戦争云々てのは、先進国の間ではもはや 戦争は起きない、という意味でしょう。

hoot-mt
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ありがとうございます!

  • poomen
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回答No.1

>「民主主義国同士は戦争はしない」という学説は  そんな学説聞いたことがありません。出典をきちんと明示して下さい。ついでにいえば20年ほど前のフォークランド紛争は英国とアルゼンチンという民主主義国家同士の戦争でした。 >、第二次世界大戦時の日本やドイツも民主主義国家となりますので  これはあなたの常識の欠落です。 ・日本-大政翼賛会が成立し、複数政党による選挙を通じての政権交代は不可能となっていました。 ・ドイツ-1933年のナチス政権の樹立以来、ナチス党の一党独裁が続き、さらには「全権委任法」によってヒトラー個人に独裁的権限が与えられていました。  日本などは大正時代に庶民院-衆議院での第一位政党から首相が選ばれるという現在と同じ慣習ができあがり、ドイツに至っては第一次大戦を得て生まれたワイマール共和制は制度としては当時最も優れた民主主義体制とされたものです。  が、民主主義体制というのはそれを維持するのに不断の努力を必要とします。日本も昭和に入ればテロが続き選挙の先例を得ない軍人内閣が幾度も誕生しました。ドイツに至ってはナチス党の権力掌握以降を民主主義と見なす人はいないでしょう。  あなた、常識に欠けてますね。何を書いているんですか?????

hoot-mt
質問者

お礼

ありがとうございます!ただ、、、 あなたの知的水準が極めて低いこと、そして、文化的素養の無さが露呈してしまったことが残念でなりませんw

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