以下のとおりお答えします。
>その人間の真実を知る方法って可能ですか? 可能ならどんな方法がありますか?
⇒残念ながら、そういう場合の「真実を知る方法」は、率直に言って、ないと思います。おっしゃるように、その人の言うことをどんなに注意深く聞いたところで、その心理や意図をある程度推測できても、しょせんそれは当てずっぽうにすぎないわけですよね。
さらに突き詰めると、古代の哲人ゴルギアスsolipsism(独我論)が言うように、「すべての真理は相対的で、一時的・暫定的である。なぜなら、真理とは《そう思い込んだこと》だからである。」うべなるかな、です。
そもそも我々は、何かを伝えようとするとき言葉を使いますが、言葉は物自体でも事柄自体でも、まして観念自体でもありません。「物は物でしか伝えられない」と(ゴルギアスは)言うのです。それが「言葉の限界」というものかも知れません。そう考えると、言葉とは何とも不完全で不便な道具ですが、それにもかかわらず我々は言葉でしか伝えられないんですね。長年入試を管轄していたある教授の言ったことが印象的でした。《試験のあとで「できた」と言う人は、実際は必ずしもできていない。逆に「だめだった。その問題は自信がないし、あの問題はできなかった」というようなことを言う受験生の方が概してよくできている》と。
これは一例にすぎず、誤解・誤伝の類を経験しることは日常茶飯ですね。ということで、人の言表することの意味(の裏の裏)、底意・真意を掴むためには、「心理や意図を洞察し、誤解・誤伝という言葉の限界をよく斟酌しなければならない」ことを痛感する次第です…。しかし、それでも「やはりそれが真実かどうかは判別出来ない」とのご指摘に心底共感します。あとは、「直感や第六感に頼るほかはない」ということでしょうか。