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徳川御三家

家康が、将軍家の嫡嗣が次期将軍にならない場合は、次男以下ではなく御三家から次期将軍を出せと遺言したのは、なぜですか? もしかしたら、将軍の座を狙って一家の中で下剋上が起こることを防ぐためですか?

みんなの回答

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5119)
回答No.2

>家康が、将軍家の嫡嗣が次期将軍にならない場合は、次男以下ではなく御三家から次期将軍を出せと遺言したのは、なぜですか? その様な、遺言は存在しません。 徳川家の公式記録にも、存在しません。 家康が望んだのは「長幼の序列」です。 相続の順番を誤ると、幕府が崩壊すると考えたのです。 次期将軍問題で、内部分裂しますまらね。 実際、3代将軍の座は「竹千代(家光)と国松(忠長)」で家臣団・幕府内でもめましたよね。 この争いを春日局から聞いた家康が「次期将軍は竹千代」と宣言したのです。 ※江戸城内で「竹千代を上座に座らせ、国松は下座に座らせた」 要は、長幼の序列と血筋を優先した訳です。 >将軍の座を狙って一家の中で下剋上が起こることを防ぐためですか? その通りです。 5代将軍綱吉の将軍就任でも、理解できるでしようね。 父・3代将軍家光が亡くなり、兄の家綱が4代将軍に就任。 家綱は子宝に恵まれず死去。 兄の後を継いで、綱吉が5代将軍になります。

gesui3
質問者

お礼

遺言と言うのは語弊がありますが、生前に秀忠に言っていたと思います。

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gesui3
質問者

補足

では、家光になかなか子が出来ないので、紀伊・尾張から世継ぎを出そうと準備を進めたのは何故ですか。家光の弟の国松(忠長)がいるにもかかわらず。 やはり、家の中での下克上を予防するためではありませんか。貴方はこれは肯定しておられるので、前半の回答と矛盾していませんか?

  • maskoto
  • ベストアンサー率53% (543/1016)
回答No.1

そのような事は遺言してないと思います 将軍家に代継なきときは、御三家より代継を出せと遺言したはずです ですから、将軍家嫡男が跡を継げなくなれば、弟が跡を継ぐ それができない時は、御三家から後継ぎを出す このような序列を明確にして 代継争いを防止しようと言うのが家康公の考えであったと思われます。 (これにより、最上位が将軍家 これに継ぐ家格は御三家、だとはっきり示したことにもなります。)

gesui3
質問者

お礼

遺言と言うのは語弊がありますが、生前に秀忠に言っていたと思います。 それどころか、家康は天皇家の継嗣問題にまで口を出し、天皇の弟への譲位に反対したのでは?

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