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15cからの大航海時代の起因は
15cからの大航海時代の起因は、造船技術と造船業の隆盛でしょうか? 産業革命ならば、英国での蒸気機関の発明が起因だと思いますが。
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私の高校時代の世界史の先生の口癖は、「文明がある程度発達したあとに起きた世界史上の大きな出来事には2種類の原因があります。一つは、<なぜそれをしなければならなかったか>であり、もう一つは<なぜそれが可能だったか>です」ということでした。 これに即すると、<なぜ可能だったか>が、あなたがお書きになった造船技術の発達、羅針盤の実用化をはじめとする航海技術の進歩、天文学や気象学の進歩、そして中央集権国家の誕生などでしょう。 <なぜ、遠洋航海に乗り出さなければならなかったか>という点については、香辛料の確保(東方貿易がオスマントルコ帝国によって妨害されて価格が暴騰)、アジアへの憧れ、膠着してしまった欧州以外での領土拡張、などの必要性ということです。
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- Nakay702
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以下のとおりお答えします。 >15cからの大航海時代の起因は、造船技術と造船業の隆盛でしょうか? ⇒そうですね。それも大いに関係あると思います。 広角の視野で見ますと、ほかにもいろいろ見えてきそうな気がします。大航海時代到来の起因と目される要素を分析すれば、それは、①誘因、②動因、③媒介因などに分けられるのではないかとも考えられます。つまり、世界情勢の変化などは誘因であり、社会・個人の生活空間拡大や事故増殖の欲求などは動因であり、その両者の間を取り持つ科学・技術の向上などが媒介要素を担った。大航海時代の到来は、それらの総体的結果ではないかと思います。 誘因:ヨーロッパ世界での中央集権国家の誕生、例えばスペインの場合、イサベルとフェルナンドの結婚によるスペイン統一と強大な絶対王朝の成立があります。また、ヨーロッパ世界全体に関わることで、オスマントルコ帝国によって東方貿易が妨害されたことによる香辛料の確保が困難となり、価格が暴騰して、コショーなどの香辛料1gが金1gと等価になったこともあったそうですね。冷蔵庫などがなく、肉の保存を香辛料に頼るしかなかった時代のこととて、うべなるかなという感じではありますね。 動因:上述のようなプラス・マイナス両面の誘因を受け、陸路でなく海路でアジアへ行けるのではないかと考える者が登場しました。例えば、コロンブスです。彼は友人のトスカネリの作成した世界地図を手に入れ、東方とは逆の西方へ向かえば、香辛料のインドや(マルコ・ポーロによる)黄金郷のジパングに行けると考えたようですね。そういう目論見を引っ提げてイタリアやポルトガルの権力者を訪ねたのですが、埒が明かず、最後にスペインのカトリック両王を説得してようやく、援助を得ることに成功しました。構想後10年がかりの苦労が実りました。(援助の際、イサベルはキリスト教の布教を、フェルナンドは領土拡大への野心を抱いたらしいです。) 媒介要素:ルネサンス以来、科学・技術が進歩し、天体観測技術、航海術、造船技術などが飛躍的に進歩しました。カトリック両王麾下に3艘の船が用意されました。それに、コロンブス以下80人が乗り込み、約2カ月半かかって中央アメリカに到着しました。《ここに大航海時代が開かれました。》 経緯・余談:3艘の船には80人が分乗しましたが、1艘は海賊に乗っ取られ、1艘は途中で遁走しました。(トスカネリの地図は四角い形でした。それでかなりの乗員が、「この先には滝があって、落ちて死ぬ」と思ったらしいです。)最後に残った主船サンタマリア号だけが中央アメリカに到着し、しばらく滞在の後スペインへ戻りましたが、その人数はたったの5人だったそうです。 なお、中央アメリカ東方海上の島々を「西インド諸島」と呼ぶのは、コロンブスがインドに着いたと思ったことに由来する呼称ですし、土着の民族をindio(西)とかIndian(英)と呼ぶのも「インドの人」と錯覚したことに由来する、ということはよく知られていますね。 おっと、主題から逸れて失礼しました。ついでに南米原産のジャガイモやタバコに関するエピソードを思い出しましたが、さすがにそこまで逸れるのは気が引けますので、控えます。(もし、ご関心がおありの節は、コメントくだされば追伸いたします。)
お礼
- eroero4649
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高校歴史の教科書だと「オスマン帝国が西アジアを統一して香辛料の輸出を独占し、香辛料の値段が高騰したのでヨーロッパ各国は直接香辛料を手に入れるルートを手に入れようとした」となります。それは確かに直接的にはそうだから教科書にもそう書いていあるわけですが、現実世界はもっと複雑です。 まず、きっかけのきっかけは13世紀頃まで遡ります。 13世紀辺りから農機具が発達するようになり、農作物の産出量が増えるようになりました。そしてそれはストレートに「人口増」という結果となりました。 ヨーロッパは人口が増え、あぶれた農民たちは都市に移民するようになります。かくして都市の人口が増えることになりますが、急激な人口増で都市の衛生状態というのは今では考えられないほど悪くなります。なにしろ下水が作られる前のパリではウンコはそのへんの道路端に捨てるものであり、その処理のため豚が放し飼いにされていたくらいです。 それが14世紀になり、世界的な寒冷化になります。「小氷期」と呼ばれる時代です。ロンドンのテムズ川は冬になると完全に凍ったといいますね。 当然食料の生産量は落ち、栄養状態は悪くなります。そして都市には大勢の人が住んでおり、衛生環境が最悪。病気が蔓延する条件が揃いました。 そんな一方で、ヨーロッパでは「十字軍」が結成されます。十字軍が行われることにより地中海交易が盛んになりますが、「大勢の人が行き交う」というのも病気が蔓延しやすい条件のひとつです。世界中の人々が飛行機で行き来する時代がコロナウイルスをものすごい速さで世界中に蔓延させたことは我々も身をもって経験しました。 そんな十字軍と地中海交易が、交易船に乗り込んだネズミを通じてヨーロッパにペストをもたらしたのではないかといわれています。 そしてペストはご存知のとおり、ヨーロッパを文字通りに地獄に叩き落としました。地中海交易の中心地であった北イタリアは9割の人が死亡したといわれています。 ペストは当然のことながら、栄養状態も衛生状態も良い貴族階級より、農民・労働者階級に深刻な損害を与えました。それが何をもたらしたのかというと「深刻な労働者不足」でした。貴族は農民に働いてもらわないとどんな広大な土地を持っていようと生きていけません。 この深刻な労働者不足が「労働者の権利の獲得」に繋がります。中世の農民は「農奴」といわれるくらい奴隷同然の扱いでした。しかしペストによる労働者不足で貴族も労働者に頭を下げて「働いてもらう」必要が出てきたのです。 皮肉にも、ペストの損害が少なかったポーランドや、肥沃な土を持つ東ヨーロッパやロシア(ウクライナ)では農奴制度が続くことになりました。 労働者の権利の獲得と十字軍によるカトリック教会の権威の低下により、大衆の意識も変化します。ルネサンスはそういう時代背景があったので起きたのです。農民や労働者が奴隷階級からの独立を目指すことがスイスの独立運動にも繋がり、労働者が騎士を破ることによって騎士の没落と後のプロテスタントに繋がる宗教改革運動にもなっていきます。 そしてその騎士・貴族階級の没落とルネサンス運動が国家の中央集権化を促すことになります。それぞれの貴族や騎士がミニ国家のような形で地方自治をしているのでは回らなくなってきたのです。 ペストは結果として、一言でいうと西ヨーロッパの人々に「自由」をもたらしたのです。自由は文明を進化させます。ルネサンスが起きたのも自由があったからですし、ルネサンスで合理的な考え方を人々がすることができるようになったので、造船技術も進化することになりました。イスラム勢力との交易や戦争などの「交流」が、ヨーロッパに「外国の優れた技術や知識」をもたらすことになります。当時はヨーロッパより中東・インド(と中国)のほうがはるかに文明国でした。 そうなれば当然「香辛料を直接買い付けたい。インドや中国などの優れた技術や知識を直接手に入れたい」という流れになりますわね。 というわけで、その起因は13世紀くらいにまでは遡れることになります。「じゃあなぜ13世紀あたりに農機具が発展することになったのか」となると、またどんどん遡らなければなりません。 つまり歴史というのは全て「流れ」の中にあり、どこかで区切れるものではないということですね。区切らないと頭ン中に入ってきませんから、どこかで区切らないといけませんけどね。
お礼