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「何もしない」は案外正しいのか
人間関係の本を読めば、他人の人間関係トラブルがたくさん書いてあって 例えば車を運転するならば事故を起こす可能性もあるし、自転車やバイクに乗るならば事故に巻き込まれる可能性もあるとか。 口は禍の元という言葉が特にそうですが、そもそも言わなければ何も起こらないと感じます。 例えば私なんかは、周りから割と良い人扱いみたいな感じですが、私だってイラッとすることはあるしたまには悪口も言いたくなる瞬間はありますが、それを言わないようにかなり意識して喋っています。 この流れとは少し違うかもしれませんが、他人の自慢話は大抵ウンザリされることが多いでしょう。 それじゃあ何もしなければ良いのでは?
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- Shakawotataen
- ベストアンサー率50% (9/18)
「何もしない」は案外正しいと思います。 でも!善いことをするのは、更に素晴らしいと思います。 例えば、「無言の行」は!言葉の悪業を積まないし!心を内側に向けるメリットがある。 一説では、仏教的なニルヴァーナは、苦しみの全く起き上がらない「完全な静止」という状態だそうです。 でも、優しく正しく綺麗に、真に利益となる言葉を語ることにも価値がある。 釈迦牟尼の様なブッダは!個人としてはニルヴァーナを達成しても!他を苦しみから解放する修行・活動をされたとも聴きます。
- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
- ベストアンサー率20% (192/930)
a) 人間関係で何もしないというのは、善くも悪くもないことと言えるでしょう。あなたは何かトラブルが起きることを恐れて、悪いことさえ起きなければそれで善いと考えたのでしょうが、善いことも起きないので、プラスマイナス0ですね。 b) 善人はトラブルを恐れず、他者とも関わります。善かれと思って行なった言動も、他者からは悪く受け取られる恐れもあります。でも、善人はそのような心配をするよりも、善を行ないたいのです。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
以下のとおりお答えします。 >「何もしない」は案外正しいのか ⇒そうですね、正しいと言えるかも知れません。推奨されることかも知れません。ただし、「何もしない」を象徴的表現と解釈した場合という条件つきです。なぜなら、文字通り「何もせず、何もしゃべらない」のでは生きていけませんからね。 言い方を変えれば、「沈黙は金、雄弁は銀」、「物言えば唇寒し秋の風」、「言わぬが花」というところでしょう。イギリスの評論家A・ハクスリー、は言いました。いわく、「巷の人々のおしゃべりは、ハエがブンブンするのと同じで、意味がない。人はなぜ意味もなくしゃべるのか。それは、伝達のためではなく、ただ孤独が怖いからだ」と。 彼のお勧めは、きっとこうでしょう。「もし言葉がノドまで出かかったら、即座に吐かず、一旦飲み込むがいい。そして、本当に必要なことかどうかをよく考え、それが絶対必要と確信できない限りは、口に出さないようにするがよい」と。 なるほど、そうすれば、あの道教の祖・老子の「無為無作説」が生きてくるでしょう。自然のままで、作為のない生き方を貫けば、因縁や生滅変化から離脱でき、「永遠の存在」へ志向する道が開ける、かも知れません! …と意気込んで調子に乗りましたが、そこまで大げさでなくても、少なくとも、「何もしない」を行動原理の一つに加えておくのは「案外正しい」ことだ、という考え方に賛同します。
口は災いのもとですが、かと言ってあんまり何も喋らないと「何考えてるか分からない人」になっちゃいますね。 「笑える方向の悪口」とか「その場にいる人の共通の敵の悪口」あたりは言った方が好感が持たれる場合もあるし、他人の悪口を一切言わない人は「良い人だけど(害がないというだけ)」、という扱いを受ける場合もあります。 自分の喋りたいことを喋って、誰かから好かれ、誰かには嫌われる、という人生をやっていくしかありませんね。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34518)
そしたらベストの選択をしている人は「引きこもり」ってことになりますよ。