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事件や事故は「仕方ない」のか
毎日ニュースを読んでいると、事件や事故って絶対に発生するなあと思って 事故は大体が車の運転ミスでしょうし (個人の判断能力をどうこう言っても仕方がないというか) 人間関係トラブルを出来るだけ減らせば事件には巻き込まれにくいでしょうが、他人が怒るタイミングなんてわからないですし、ましてや無差別⚪︎人なんて単なる運でしかない気がします。 考えても意味ないですか?
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- staratras
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事件・事故をゼロにすることは不可能ですが、減らすことは可能です。というより、実際に減らしてきました。 日本の交通事故の死者数は回答者が高校生だった1970年には年間1万6765人で、「交通戦争」という言葉さえありました。去年2022年の交通事故の死者数は2610人で6分の1以下です。道路整備、信号機、道路標識等の交通安全施設の充実、自動車自体の安全性の向上(1970年にはシートベルト着用は義務ではなく、シートベルトそのものがついていない旧車も多かった)、安全運転の知識技能の普及などさまざまな要因が考えられます。今では一般道も含めて全座席でシートベルト着用が当たり前ですが、昔はそうではなかったのです。交通事故多発を「仕方がない」で済まさず、交通安全に心血を注いだ人がいたおかげで今日の状況があります。 事故だけでなく事件(凶悪事件)も長期的にみれば減少傾向にあります。たとえば他殺による死亡者数も1970年には1362人でしたが、2022年はこれも1970年の6分の1以下の213人です。ではなぜ「体感治安」はこれほどには改善されていないのかという疑問が残りますが、それはまた別の問題でしょう。ともあれ事件・事故をゼロにすることは不可能ですが、減らすことは十分できるのです。
- head1192
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考えて意味がないなら航空機の現在の安全率は達成できなかった。 欧米の事故論の根幹をなすのは 「事故は一つの原因だけで起こらない。いくつものエラーの連鎖である」 である。 事故の要因を成すのはパイロットだけではない。 設計、機体組立、保守、教育、運行管理、設備、管制、気象、地形、・・・ たとえヒューマンエラーが主因だろうと、それらに至る要因の鎖の一つでも断ち切れていれば、パイロットミスは起こらなかったしたとえミスを起こしても事故につながることはなかった。 「運転手が悪い」では事故を無くすことはできない。 残念ながら、日本の安全論は欧米に50年以上遅れている。
- marupero
- ベストアンサー率27% (127/454)
地震などの天災なら致し方ありませんが自動車が絡む交通事故のほとんどは「あるタイミング」が重なった場合に起きます。 そのあるタイミングは普「段やらない行動をしたとき」 【単なる運でしかない気がします。】 その運を引いてきてしまうのは当事者です。 ①普段休憩しないのにその日に限って休憩して帰ったら車にはねられた(まっすぐ帰ってれば起こっていなかった) 喘息にもインフルエンザにもかかっていなかったはずだ ②なぜバイク配達を車に変えてしまったのか?(バイクなら玄関まで乗り込んでしまっているのでオカマほられなくて済んだ) 私の経験上事件や事故が起きた場合は普段と別な行動取ってます。 大体こんな感じで事故は起きます 例 タバコが切れたのでめったに夜中に外に出ないのに深夜2時にコンビニまで徒歩で買いに行ったら車に跳ねられた。 【朝まで待って落ち着いて買いに行けばよかったはずだ】 【他人が怒るタイミング】 他人に起こられた場合は怒らせる行動をとったからです。 人と接する場合は4手先まで見通して接しましょう
- Pochi67
- ベストアンサー率34% (582/1706)
「仕方ない」は起こってしまったことに対して心の折り合いをつけて諦めることなので、考えること自体は意味があると思いますよ? たとえば、人がやることはミスをゼロにすることは出来ないけれど、極力ゼロに近づけるために考えて行動するのは、無駄な努力じゃないし。 全てが考えれば改善出来ることではないけれど、努力で回避出来ることはそれなりにあると思います。
- habataki6
- ベストアンサー率12% (1182/9781)
交通違反でも、相手が死んで犯人逃走中は、重要指名手配として 開示されています、捕まったに貢献すると、貢献金ももらえ る事にもなりえます。 事件は日常茶飯事で、被害者になるかは、油断すると被害者 になってしまいます。 そもそも悪人は、どこにでもいます、他人を信用する人は いません、違うのは程度の違いだけです。