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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:【宗教・占い】宗教や占いには人間には運があると言い)

悪運を吸収する不思議な方法とは?

このQ&Aのポイント
  • 最近、運気が悪くなり、運にまつわる行動を見直しています。
  • 奇数の縁起の良い物を身に付けるか、偶数の縁起の悪い物を身に着けるべきか迷っています。
  • 悪飴を食べることで悪運を引き寄せてしまっているのではと危惧しています。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

a) 4 → 四つ葉のクローバー → 十字架。また、13は、聖母マリアのイニシャルMが、アルファベットの13番目で、実際、ルルドでの聖母出現は毎月13日に起こりました。なので、4や13が悪い数字とは限りません。だから、4個の飴をポケットに入れていることが善いことなのか悪いことなのかは不明ですね。だから、それを食べたからどうなるということでもないでしょう。  b) いずれにしても、運を気にするのは現世ご利益の範疇なので、余り高尚とは言えず、神に喜ばれない恐れがあります。運で、死後天国に入れる訳ではありません。魂が善良で正義で愛が深くなければ、天国へ入るのは難しいです。子供や動物のように純真な魂は、天国に行けますけどね。  c) 運を気にするのは、現世に執着していることになり、悟りとは逆方向を向いていることになります。悟りや、魂の豊かさを求めないと、神に喜ばれません。(私はどんな宗教にも属していません)

redminote10pro
質問者

お礼

みんなありがとうございます 十字架は縁起が悪いでしょう

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その他の回答 (4)

  • v3050v78
  • ベストアンサー率36% (43/119)
回答No.4

「運が存在するのか?」私達は「運命」と言います。貴方は、人の幸、不幸の原因を自分自身以外のものに転嫁している、と思います。持ち物や持つ物の数によって人の運命が変わる事は絶対あり得ない事ですし、その運命や宿命を変えるのは自分自身なのです。「お守りは運気が良い」そう思うのは貴方の勝手ですが、当たるも八卦?所詮人間が造ったものに過ぎず、心の慰め的なものです。宗教や占いの前に科学を信じて下さい。

回答No.3

運はあると思いますが、 数とか霊とか、そういう事ではありません。 飴がビンの中に半分ほど入っていたとします。 「はぁ~、もう半分しか飴がない」って思う人は運が悪い人。 「やった!まだ半分も飴がある」って思う人は運のいい人。 つまり、自分次第なのです!

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.2

>飴を4個とか9個とかポケットに入れて悪運を取り込ませた悪飴を食べることをどう思いますか? 何とも、思いません。 4(苦)9(死)のイメージは、日本だけですよね。 仏教・神道では、全く気にしません。 13(ユダの座席番号)のイメージは、キリスト教徒だけです。 時々、語呂合わせで「4+9=13」といって悪運の塊!と話す偽物宣教師(占い師含む)がいますがね。 >悪いことと良いことが頻繁に1日に起こるようになって悪運を吸い込ませることに成功したけど食べてしまっているから悪いことが繰り返すのかなと思いました。 この現象は、「自己暗示」が原因です。 「不幸だ」と思い続ければ、どんどん不幸になります。 ※普通の事でも、意図的に不幸に結びつける。 >京都で除霊してくれる有名な神社仏閣があれば教えてください。呪われています。 こういう状況の人は、新興宗教のターゲットになります。 「先祖代々が地獄にいるので、この壺(たった500万円)で苦しんでいる先祖の霊を救う事ができます」 「このお守りは、皆さんの聖なる父・母の念が入ってます。たった200万円で悪魔から守ってくれます」 色々と、問題になっていますよね。 似た新興宗教は、解散命令が裁判所で審議中! >京都で除霊してくれる有名な神社仏閣があれば教えてください。 知恩院・貴船神社が有名ですね。 私が最近見聞きしたのは、西国三十三所の京都市内各寺院です。 平安時代に巡礼が始まった時に「心を清らかにする」事が目的でしたから・・・。 今も続いているしね。^^;

  • kyokoma
  • ベストアンサー率38% (314/817)
回答No.1

呪われている人なんて居ません。 そう感じたくなるのも分からなくはないですし、 冗談半分で言うこともあります。 確かに、 運不運というのはありますが、 あくまで確率と統計上の話で、 どこかの神社・仏閣に拝みに行ったら解決するというものではありません。 人の弱みに付け込む輩に利用されかねないですよ。 運は自分で切り開いていくものです。 除霊等というものに大金を払う必要なんてありません。 拝むこととで気持ちが済むのであれば、 お近くの神社なりお寺なりに行って、 お賽銭を少し入れて拝んでくればいいでしょう。 地域色の高い場所であれば、 神主さんか住職か話を聞いてくれるかもしれません。

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