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もっと堀河天皇が長生きしていたら
もう40年、堀河天皇が長生きしていたら、白河院政も、もっと、地味なものになったんでしょうかね。お答えください。
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藤原北家の摂関政治を弱める為に、10歳代の堀川天皇に 生前譲位をして上皇になり院政を敷いたのですから、 父親の意思を継いで、摂関政治を弱める事が加速されるので 白河上皇は光輝くと思いますが。 白河天皇は藤原北家の外戚がいない天皇ですので、武家の平氏一族 を朝廷の官職に登用するなど、思い切った事が出来たのです。 平氏一族の財力と軍事力を得たのは大きかったのです。 後の、後白河法皇と平清盛のコンビで藤原北家の摂関政治は終焉に なりました。 とどめを刺したのが、源頼朝で、武家が公家に取って代わった のです。
お礼
ご回答ありがとうございます。おそらく、堀河天皇も、そんなに在位する気はなく、おそらく、40代には、退いて、上皇になったと思います。白河法皇は、この時点で、治天の君の地位を堀河天皇に譲ると思いますが、そうなると、摂関家との関係などはもっと柔軟になったんでしょうかね?平家の登用は、もう少し遅れることになったんでしょうかね?