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明治時代の人名で読み方がわからない漢字があります

改葬手続きの関係で明治生まれの親族の戸籍を確認しているのですが その中に 「添付の画像の文字(1文字)+次」 の二文字で名が記載されていて、読めません。 手書き検索をいくつか試してみましたが該当するものは特にありませんでした。 明治時代の人名のため、なにかの旧字体か、手書き時代の名残の外字的なものなのかとも思いますが、読み方がわかるかたいらっしゃいましたらご教示いただきたくお願いいたします。

みんなの回答

  • sutorama
  • ベストアンサー率35% (1689/4748)
回答No.2

もとの写真画像が欲しいところです で、当時時折、三男(修正順)の人など名前の上に数字を書いてしまう役所もあったようです できれば、菩提寺に協力してもらって、当時の簿記帳などを調べてもらう方法が良さそうです

kousakamil
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 資料の現物を写真を撮って、と思ったのですが、現物が実家にあり8月中に再度帰省する予定がつぶれて結構先になりそうなのでいただいた回答で〆させていただこうと思います。ありがとうございました。

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  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10004/12512)
回答No.1

以下のとおりお答えします。 >改葬手続きの関係で明治生まれの親族の戸籍を確認しているのですが その中に 「添付の画像の文字(1文字)+次」 の二文字で名が記載されていて、読めません。 ⇒『漢和大字典』を調べても見当たりませんでした。 それで、考えたのですが、「添付の画像の文字(1文字)+次」の「1文字」とおっしゃる部分は、実は3文字で、「三井」に漢数字の「八」を組み合わせたものではないかと想像をめぐらしました。例の財閥三井家の代々当主は三井八郎右衛門を名乗ったそうですので、「八郎右衛門」の「八」かも知れないと思いました。 Wikipediaのhttps://ja.wikipedia.org/wiki/ にこうありました。 《…三井家は強固な結束を持つ共同組織となり、江戸時代を通じて豪商としての地位を保ち続けた。また、兄弟達は1694年(元禄7年)に、家政と家業の統括機関である「三井大元方」を設立するとともに、利益の一部から生活費として賄料が各家に対して支給され各家の家政と三井家の事業の分離が図られた。 江戸時代中後期 北家3代高房以降、代々当主は三井八郎右衛門を名乗った。高房は豪商達の興隆・衰亡を記した『町人考見録』を著して地道な商売の必要性を唱えて大名貸などの派手な取引を禁じていることで有名である。…》 また、「添付の画像の文字(1文字)+次」の「次」もよく分かりませんが、もしかしたらこれは名前の一部というより、「次男、次ぐ(継ぐ)者、後継者」といったニュアンスを表しているのかも知れませんね。ちなみに、上記サイトの後半にこうあります。 《江戸時代の三井家は、当時居住していた地域の名前を頭につけて通称とするのが習わしであり、以下のように呼ばれた(11家とも明治以降は東京に転居)。 高利の男系子孫(本家) 油小路北家(長男高平の子孫) - 略称・北家。惣領家。当主は代々三井八郎右衛門を名乗る。 伊皿子家(次男高富の子孫) - 当主に三井高生など。 新町家(三男高治の子孫) - 当主に三井高辰など。…》 以上、お答えにならないかも知れませんが、分かった範囲について、お知らせまで。 なお、引用文献の詳細につきましては、《 https://ja.wikipedia.org/wiki/三井家 》をご覧ください。

kousakamil
質問者

お礼

色々と調べていただきありがとうございました。 原紙を再確認する際に、推察の線も併せて確認したいと思います。 ご回答いただきありがとうございました。

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