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コロンブスとインド

世界史の教科書なんですけど、なぜ「インドの人」なんですか?この文脈でいくと「インディアスの人」ではないのでしょうか?また、この地をインドだとすると、たまたままったく同じ名前のインド(本物)が後で見つかったということですか?

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noname#259322
noname#259322
回答No.3

わりと肝心の画像が抜けていませんか? 教えてgooのほうも拝見してようやくおっしゃりたいことがわかりました。 これは画像の教科書?の括弧内がちょっと不親切というか…親切にしすぎてわかりにくくなった例だと思います。 当時のヨーロッパ人は、少なくともコロンブスが生きていた西欧あたりの人々は、「世界とは、ヨーロッパ、アフリカ、アジアで構成されている」と考えていました。 興隆がないアメリカ大陸は存在を知らなかったので、想定できなかったんですね。(もっというと、南極やオーストラリア、オセアニアも存在することを知らないです) で、その「ヨーロッパとアフリカ以外の地域」をインディアスと呼んでいました。この中にはインドも含まれます。日本や中国も含まれます。 インディアス=アジア=(インド+中国+日本+なんかもうちょっと小さな島々もあるっぽい)、 もっというとインディアス=インド(+そのほかおまけの国々…中国は大きいっぽいけど)ぐらいの認識だったことでしょう。 インドは特に貴重な香辛料を生み出し重要であり、なおかつ認知度も高かったからです。 これは、例えとしてあまり当てはまっていないかもしれませんが、私たち日本人が「外国人」と聞くと、金髪碧眼の白人や、アメリカ、一部の西ヨーロッパの国々を連想するようなものではないかと思います。 当時のヨーロッパははるかに情報に不足していたのですから、国々や地域の実際の大きさはわからなかったのです。 そして、今までは喜望峰ルートで大回りしなければ到達できないインディアスに、西にまっすぐ行けばもっと近道できるはずだ!という理論で大陸を発見したのがコロンブスです。 このときコロンブスはたどり着いたのがインディアスであると信じていました。だから土地の人々をインディオと呼んだのです。 彼らにとってインドの存在が大きいからアジア人全体をインディオ(インド人)と呼んだようなイメージですね。 で、教科書の文章は括弧内でインディアス、インディオの意味をそれぞれ説明したので、少しわかりにくい文章になったのだと思います。

mikannnnnnn
質問者

お礼

こんなに分かりやすく説明していただけて助かりました。本当にありがとうございます!

その他の回答 (2)

  • okok456
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回答No.2

当時、アジアをインドと言っていたようです。 アジア・インドへの航路はアフリカの南端を経由してに コロンブスは地球が丸い説を信じ西に向かい アジア・インドに着いたと思い込み、新大陸と分るには時間がかかったようです。 先住民をインディアンと呼び カリブ海の島々を西インド諸島 と名付けています。 https://www.y-history.net/appendix/wh0901-022_1.html

回答No.1

大航海時代よりもずっと前から陸地ルートでのインドは認知されていましたし、東航海ルートでもインドは認知されていました。 が西航海ルートで新大陸(アメリカ大陸)が発見され、そこが「インド」や「東アジア」だと勘違いしたためです。 今は「ネイティブ・アメリカン」などと変更されていますね。 ちなみに「インディアス」は元々日本や中国などの東アジアを指していました。

mikannnnnnn
質問者

お礼

ありがとうございます!