義満の選択した「冊封」の意味するものは???
「流れをつかむ日本史」という本を読んでいて、下記のような記述が気になりました。
義満は、正式な日明貿易を行うため、明に朝貢する形で使者を送り、明皇帝から「日本国王」に冊封(明の朝貢国として日本を統治することを認められる)されました。これは、当時の貴族の間でも、屈辱外交として評判が悪いものでした。日本国王に冊封されることによって皇位を簒奪しようとしたのだという説もありますが、義満は国内向けに日本国王の称号を使おうとはしていないので、あまり支持する研究者はいません。
「冊封」というのは、日本の古代史の記述にも出てきたような記憶があるのですが、その時は、相手は大国だし、中国に対する日本の態度もなんとなくわかるような気がするという程度で、そんなに気にも留めていなかったのですが、室町時代になって、この「冊封」という用語が出てきたことに、「これは、なんなのか」という疑問が湧いてきました。しかも「当時の貴族の間でも、屈辱外交として評判が悪いものでした。」ということだったようで、私も、私の先祖も貴族ではありませんが、疑問が湧いてきました。
1 義満はなぜ「冊封」という道を選んだのでしょうか???単に「財政」だけでしょうか???鎌倉時代の「元寇」は関係しているのでしょうか???ご回答をお願いいたします。
2 現在の「日中」、「日韓」、「日朝」の関係が、ふと頭の中をよぎったのですが、この4国関係は、「古代から何も変わっていないのではないか???」と。ご意見をお願いいたします。