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古いしきたりと世間体を考えずに、私の心境はどうでしょうか?
- 36歳の未婚女性です。現在94歳の施設に入居の祖母が入院しており、私は疑問を抱えています。
- 祖母の入院により、私は忌引休暇を取ることができず、有給休暇か不就労の選択を迫られています。
- また、私は8月や10月に参加予定のミュージシャンのイベントがあり、その予定が祖母の状況と被ってしまう可能性があるため、悩んでいます。さらに、現在の社会情勢を考慮して、葬儀の在り方も変えるべきだと思っています。皆様はどのように思われますか?
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12の者です。 先程の回答私も少し語弊があったと思います。 人それぞれで質問者様は葬儀に参列する意義が感じられない。誰か立会火葬すれば良い、 その為に仕事やコンサートを棒に振るというのが理解できないと言う事を言いたかったのでしょうか? 昔は地域社会でありこの様な行事に参加する事で結婚式ならご夫婦を祝う、葬儀なら故人を偲ぶ事も勿論ですが、仕事や地域への貢献もあったと思います。 今はそれが希薄化している事も頷ける話です。 ともあれ、コロナ禍の中でもリモートやメールで弔問される方が居られます。その様な気持ちも大事ですし、日本人の故人を偲ぶ土着感は他の共産主義の国家に比べ、まだ暖かく優しい気持ちが育まれるのではないのでしょうか? 他の方も仰られましたが目先のコンサートは 他の日もあるただ送るのはその日だけ それでも皆からどう思われても良い関係ないと突っぱねたなら新しい方法でそんな人と思われ、関係が切れても良いと言うなら実践されると良いと思います。
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- hinomine1975
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>私は契約社員のため忌引休暇がありませんのでその場合は有給を使うか不就労のどちらかです。 私の遠縁の方に将棋の棋士の方が居られます。 タイトル戦の対局と重なり、どうしても親族の葬儀に参列できなかったので、事前に弔問に来られ、御香典を渡されたと云う事が有りました。 又、その様なご事情でしたら、葬儀の折休めないなら、合間を縫い(前後)に御祖母様のご自宅に行かれ、手を合わせられ、弔問をされては如何かと思います。 >またコロナ禍をきっかけにリモートだとか葬儀の在り方も変化してるので、そのときには衛生面とかも考えて、初期のコロナ患者だった遺体の処理と同様でも良いと思います。 コロナウイルスで亡くなられた方の葬儀に関わらせて戴いた事があります。遺体は処理され火葬されますが、お別れをされたい方も居られます。故に数週間たって、近所の近しい親族のみがその場に集まり、 又遠方のご縁のある方はリモートで参加されたり、リモートが出来ない方はその御写真を送られたりと云う事をされておりました。 >礼服のマナーとか香典がどうとか、孫が参列しないのはおかしいとかのしきたりとか自体にずっと疑問だらけです。結婚式だってしない人がいるのだから、葬儀だって簡素化でも良いかと思います。寧ろ喪主1人が身元引受人として立ち合えば良いかと思います。 確かに法に倣えばそうだと思います。 しかし、御祖母様の事を偲びたい、人生のけじめをつけたい、 と云う方も居られます。 さもすれば、出産祝いや七五三等の行事、 学校の入学式 卒業式 会社の入社式も無駄と成ります。 派手ではないがこの様な事で悲しみを和らげたり、故人様との関係を感じたり、地域や社会の一員である認識やけじめと云うものも生まれてくるのではないかと思います。 結婚式をしなくても親族への報告挨拶があれば良いと思います。 (葬儀も同様)それが面倒なので結婚式も葬儀も設けられるのではと 思います。
- yaasan
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あなたが同構想しようが犯罪行為ではない限りには自由です。しかし、しきたりや世間体というのは長い歴史の中で、そう行動していれば、周りと折り合いがつく、という事で培われてきたものですので、簡単に違う事がいいとはならないでしょう。 単純に考えてください。(あなたにとって、別にどうでもいい、大したことない)おばあさんの葬式に出席する事と仕事を休まない事やコンサートに行くことが大事だと行かなかった場合、それは基本的にストレートにあなたに帰ってくることになるかと思います。いわば、因果応報ってやつです。 あなたが入院した時、誰も見舞いに来なくても、葬式も誰も手伝ってくれなくて、死体を放置されても文句は言えない、という事です。それでもいいなら、好きにしたらいいと思います。他人は一生懸命に手伝ってくれた人に恩を返そうと思いますが、何もしてくれない人には仇を返そうとするものです。 どうでもいいよ、と思うなら、お葬式を欠席しましょう。自分がピンチの時は何とか手伝って欲しいと思うなら、できる事はしっかりとやっておいた方がいいと思います。
- fu5050
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別の観点から最近の私の体験談を紹介します。4月に伯母が長くないといとこ(伯母の子)から連絡があり、いろいろ相談されました。いとこは一人っこで伯母の夫(いとこの父)はすでになく、私の親を含め伯母の兄弟姉妹も故人です。家族(親族)葬でやることは確実ですが、その場合も参列者は、限られます。その伯母には、一番長くお世話になりましたし、私の親もいろいろお世話になったこともあり、是非参列したいと思っていましたが、今の仕事はシフト制で、一人番の時と二人番の日があり、2人番の日なら、お任せすることも出来ますが、一人番だとかなりきつい。また、あなたと同じように「推し」のコンサートなどのイベントも近づいていました。 結果的にいうと、イベントも終わり、非番の日に6月某日がお葬式でした。そのとき、喪主(いとこ)の話で、喪主も5月に手術の予定がありましたが、手術が無事済んでしばらくして亡くなったと。待ってくれたのではないかと。 また、同学年の友人が怪我をして手術することになったのですが、手術が終わりリハビリをして、松葉杖てあるけるようになった頃、お母様がら亡くなったそうです。 「お別れ」も縁だと思います。おばあさまが最後見送りしてほしいと思っていれば、あなたがお葬式に来れる日になくなると思います。
- nagata2017
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私も 私自身の死後についてはどうでもいいと思っています。 墓も葬儀も必要ないと。 日本では宗教心も薄れてきているのに こういった儀式のほうは相変わらず残っているのが不思議です。 宗教的儀式を糧にしている人たち 僧侶 葬儀屋 石屋 などが世間に影響力を与えているのでしょうか
- head1192
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元来法事とは生きている人間のためのものである。 今の世の中ではなかなか感じられないだろうが、法事には3つの役割がある。 ①自分や家族親族の心の整理 ②家族親族とのつながりの再確認 ③地域とのつながりの再確認 どれも要らないというなら別に法事を行う必要はない。 日本ではそういうことを法的に強制されていない。 あとは自分で判断することである。 それが自由人というものである。
要は「私は祖母のお葬式に行きたくない」という話ですよね。 そこで「社会には古い、無用なしきたりが…」とか「世間体を気にして葬式をあげるなど…」とか、話をすりかえちゃいけませんよ。 「祖母の葬式に出て収入が減るのが嫌だし、もし行きたいイベントとかぶったらそっちに行きたい」は、あなたの感情です。 あなたの感情を社会全体のしくみにするにはまあ、この国の将軍様にならなければ無理です。 今のしきたりや風習は「あなた以外の感情」に従って作り上げられたものでもあるからです。 あなたの死体はあなたの感情に従って機械的に処理でいいかもしれません。 が、当のおばあさまご本人や、おばあさまに愛着を持つ人たちの感情は違うかもしれませんよ。 それを考慮せず、「あなたの気持ち」だけで「社会のならわし」を動かそうとしても絶対に通りません。だって、他人の気持ちを無視しているから。 ですから、 >予め私が感じてる疑問点をぶつけたい気持ちでいっぱいです 疑問をぶつけるのはかまわないと思います。 ですがこのときに「葬式など古いしきたりが」だとか「体面のためだけに忌引き休暇のない孫を引っ張り出すなんて」とかいう「論点のすりかえ」を言えば、あなたの主張は伝わりません。 「私の気持ちは、祖母の葬式に出たくない。なぜなら、収入を減らしたくないから。それに、お目当てのミュージシャンのディナーショーやコンサートを予約済みなので、そちらを優先したいから。」と、 「自分の感情」を中心に主張したほうが良いです。 意外と、そのほうが通りやすいとも思いますよ。(あなたをよく知らない人は驚くかもしれませんが…) ウソをついて話をこじらせていないからです。 それに今から葬式についての人々の考えを変えたって、この夏のイベントには間に合いませんしね。 しかしこれが釣り投稿でないのであれば、なぜあなたが30代後半になって独身にも関わらず契約社員という立ち位置なのか答え合わせができちゃったような気持になりますね…。
- eroero4649
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質問者さんは、好きな人とデートをするときにおしゃれをしますか。するなら、なぜするのですか。服装なんて本人の人間性とは全く関係ない。自分を美しく見せようだなんて嫌らしい下心だと思いませんか。 そしてデートのとき、その好きな人がヨレヨレのTシャツに裸足でクロッカスみたいなサンダルを履いてやってきたらどう思いますか。 その場に相応しい服装や振る舞いをすることを、TPOといいます。河川敷でのバーベキューに行くような格好で高級ホテルに行ったらTPOをわきまえていないといわれます。また逆に河川敷のバーベキューにドレス姿で現れたら、それもまたそれでTPOをわきまえていません。 質問者さんがハタチくらいの小娘ならば、まだTPOが理解できていないというのも分かります。子供ってそういうもんだ。 でも36にもなってまだTPOというのがどういうものか理解できていないっていうのは、恥ずかしいですよ。堀江貴文さんが、どんな場所でもTシャツ姿で出てくるじゃないですか。本人は「これは2万円のTシャツだからラフじゃない」っていうけれどさ、50歳くらいのおっさんがちゃんとした場所でちゃんとした格好ができないって傍から見てかなり恥ずかしいですよね。 36歳になったら、TPOというものを理解して欲しいものですね。質問者さんがその年齢でもTPOが分かっていないのは、社会的に責任がある立場になったことがないからじゃないかなと思います。部下がいたり、役職のある仕事に就いたり、社会的に責任を負わされる立場になるとTPOをわきまえないと恥をかき、下の人からもバカにされてしまいます。 あとお目当ての人のショーやコンサートに行きたいということですが、その人はその8月や10月のショーやコンサートが終わったら、活動を休止されるのですか?次のショーやコンサートは行われる可能性は低いのですか?クリスマスディナーショーなどもやらないと思われるのですか? もし「これを見逃したらもう一生、生歌は聞けないかもしれない」というのであるならば、どうしても行きたいという気持ちになるのは分かります。 けれどそうではないなら、そうまでして今回どうしても行く必要はあるのですかとも思いますよ。その人のコンサートだってコロナのときは中止になったりしたのでしょう?そして中止になったときは「またいつかコンサートをやるだろうから仕方がない」と諦めたのでしょう?そういうことって、あるんじゃないかしら。 中高生くらいの年齢の子なら、大好きなバンドのコンサートに家出をしても行きたいっていうのはあると思うのですけれど、36歳にもなって「お祖母ちゃんがどうなるか分からないから、行きたいけれど今回はスキップするか」という自己コントロールも難しいのでしょうか。 コンサートにどうしても行きたいという欲望を抑えきれずに、それを通すためにしきたりがどうのこうのとか、世間体がどうのこうのとかの口実を使う。 もっと精神的に大人になってください、と思います。質問者さんの精神年齢は10代の子のそれですよ。でも今のZ世代ってみんな大人びてるから、今の10代の子より精神的に幼いかもしれないですよ。
意義の薄い形骸化したしきたりや、マナーに対する疑問、反発心には大いに賛同できます。 時代に即し最適化された葬儀のかたち、と言うのも模索されていって然るべきでしょう。 ただし、遺体の処理を法に則って機械的に行うだけだというのは、それは流石に違うと思います。 人には心というものがあります。 他の生き物と違い、人にとって人の死とは、非常に特別な出来事です。 ましてやそれが近い縁者のそれなら、一族で弔意を分かち合う、自身のルーツである親族の命の終わりに、ある程度の敬意を払う、その瞬間に寄り添おうとする心情を深めようとするということは、効率論だけで片付けてはならない、人としての大切な本質の一部だと思います。 誰にでも必ず訪れる自身の最期が、効率だけで機械的に片付けられていくこと、それは、私でしたらやはり耐えられませんし。 物言えぬ死人が相手でも、そこの敬意はやはり捨てられないですね。 私が質問者さんと同じ状況でしたら、やはり疎ましく思ってしまう部分もあると思いますけど、必ずしもライブの日程にピンポイントで被るとも限らないわけですし(その可能性のほうが低くないですか?)それほど縁の遠い間柄でもないですし、これも人としての責務だと思って、参列はします。 人の死をそこまで効率のみで見てしまうことは、罰当たりに感じてしまうというか、自分にとってもあまり良くないことが起こりそうな気もしてしまいますので(私個人の感想です)。
- gohantookazu
- ベストアンサー率62% (258/415)
まず、万一の事があったら、その時にはじめて自分の考えを言うべき話だと思いますね。仮定の話はしても仕方がない事ですし、もし仮定で話をしたならば、聞いて嫌な感じを受ける人が多く居ると思います。今できる事は、おばあさまの回復をひたすら祈る事に尽きると思います。 ただ、一般論として葬儀というものを話をした場合、孫が参列するかしないかは、人それぞれの自由な考えでいいと思います。そこを色々言われたら、正々堂々と自分の意見を言って反論して問題ないと思います。 ただ、そうやって自分の意見を言った結果、親族と別々の意見になる事もじゅうぶん考えられます。その時に、親族との友好な関係が崩れたり、疎遠になったりする事もあり得ます。それは承知する覚悟が必要です。 ・自分は、親族の意見を押し付けられたくない ・親族は、自分と同じ意見になって欲しい ・自分と親族との友好な関係性を維持継続したい これらについて、どこも譲歩しないで全部取りを実現するのは、難しすぎて不可能の領域だと思います。 それからタイトルが「古いしきたりとか世間体とかは止めるべき」というタイトルなんですが、みんな古いしきたりとか世間体をやめるべきというのは、周りの人みんなから受け入れられないと思います。古いしきたりや世間体でやっていきたい人の事を、あなたも許してあげる姿勢が必要だと思います。「しきたりについては人それぞれの考え方でいいじゃないか」だったら、いくらかの人が受け入れてくれると思います。 「人それぞれがどういう考え方をするのかは自由だけど、みんなも自分と同じ考え方をしろよ、というのはダメ。」 こういう路線の考え方で、周りの人とうまく関係性を築いている人は多いです。自分が他人から意見を言われた時を想像すると、わかると思います。
- sumisan999
- ベストアンサー率15% (32/204)
つまりは祖母さんの葬儀には出なくてもいいでしょ?と言いたいわけね。 あなたを小さい頃から大変可愛がってくれた祖母さんなんだから怒ることは無いでしょう。 でもね、大切な方はどちらなのか?を考えると二度と参加できない方じゃないかなと思うんですよ。 あの時なんでそっちを選んだんだろう・・・って後悔しないように
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補足
コロナ禍で中々逢えない間に、祖母は1度骨折して杖ついて歩けるまで回復したけど、それまでは自力でしていた白髪染め、パーマをかけたりしていたけど そういう気力も無くなり、髪の毛は伸び放題。 施設に入る直前の脳梗塞により、私の知ってる祖母とは変わり果ててしまいました。 現在は指とかは動くけど、私の中ではもういないのと同然に思えてしまっています。寧ろ幽界のトラップに嵌まらず 、自分のタイミングでワンネス、宇宙の大いなる源に還っていきなさいと思うばかりです。そういう想いしかありません。肉体もかりそめ、借り物、家族も現世限定の関係性に過ぎません