• 締切済み

鹿鳴館について

明治の鹿鳴館ですが、トイレは汲み取りトイレでしたか? 和式ですか洋式ですか?

みんなの回答

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6891/20374)
回答No.4

水洗トイレの登場 世界初の水洗トイレは? 世界初の水洗トイレ 'the john' : 「英国と暮らす」 世界初の木製フラッシュ水洗トイレは、サー・ジョン・ハリントン(Sir John Harrington)によって、1596年に発明され、彼は自宅に設置しました。 彼のゴッドマザー(名づけ親)であるエリザベス1世は、1597年、彼女専用の水洗トイレ「ザ・ジョン」をリッチモンド宮殿に設置させます。 1596年にイギリスです。 ということは 明治の鹿鳴館にもありうることですね。

  • 4017B
  • ベストアンサー率73% (1336/1814)
回答No.3

明治18年(1885年)に「神田下水道」と呼ばれる日本における本格的な都市下水道施設が、神田川周辺の現在の千代田区に作られました。鹿鳴館の建設完成は1883年ですので、その時点ではまだ下水道が整備されていなかった事になりますが。その2年後には本格的な下水道が整備されたので、鹿鳴館でも改修工事などを行って下水対応施設に改良されたものと思われます。 鹿鳴館は戦前の1940年に廃館となって取り壊され、今では史跡後を示すプレートのみが残るだけであり。また現存する間取り図にも、客間や娯楽室などの記載はありますが、手洗い場やトイレ等の不浄施設に関する記載は無いので。自分の知る範囲では確実に「鹿鳴館に水洗式トイレがあった」とは断言できないのですが…発展途上国の国の政府が西欧列強から来た先進国来賓を饗すために作った迎賓館的な施設に、和式便所や汲取式のぼっとん便所を作るとは思えませんので。まあ常識的に考えて、あらゆる無茶を押し通してでも近代的な水洗式トイレを設置していたと思います。 また鹿鳴館の設計者であるイギリス人建築家のジョサイア.コンドルが設計した同じ明治時代の建築物である「六華苑」には、完成が1912年と30年近く時差がありますが、その1階と2階に水洗式トイレが設置されていますので。同じ設計者ですので、恐らくは鹿鳴館にも水洗式トイレを設計設置していたものと思われます。それに日本で初めて記録に残っている西欧式の水洗式トイレは1850年頃に登場していますので、年代的には決して有り得ない代物だった訳でも無いかと。 尚、便器の形式が和式か洋式かに関しても、前述の通り設計者がそもそもイギリス人ですので。日本政府側が特に「我が国伝統の便器にしてくれ!」と頼まない限り、西欧人ですから普通に腰掛けスタイルの洋式便所にしたものと思われます。

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5119)
回答No.2

>明治の鹿鳴館ですが、トイレは汲み取りトイレでしたか? もちろん、汲み取り式トイレでした。 排せつ物が貯まった穴から桶に入れて、農家へ運搬していました。 江戸時代には、人糞も農家に販売していたのです。 長屋の場合は、大家の収入。 排せつ物も、たい肥(肥料)として使っていました。 排せつ物にも、ランクがあった様ですよ。 一等うんち=大名家。二等うんち=大店・商家。3等うんち=庶民。 当然、明治になっても同様。 排せつ物を肥料にする事は、水洗便所が普及する昭和後期までは一般的だったのです。 >和式ですか洋式ですか? もちろん、様式便器でした。

  • FattyBear
  • ベストアンサー率33% (1535/4631)
回答No.1

推測です。 鹿鳴館が完成したのは1883年(明治16年) 設計者はお雇い外国人のジョサイア・コンドル(イギリスの建築家) 場所 千代田区内幸町 東京の最初の下水道 明治17~18年に神田の一部に下水道を敷設 が最初なので鹿鳴館には下水道は無い、近くに川もない。 当時のイギリスのトイレ事情 1810年 水洗トイレがイギリスの都市で使われ始める。 1863年 ロンドン(イギリス)に下水道ができる。 とすると、水洗便器はイギリスから入手可能か。だから洋式? でも日本には下水道がないので完全な水洗は出来ない。 下水道が無い環境の場合、浄化槽での施工は可能だが明治の頃 にはその技術はないと思われる。したがって、椅子タイプの便器 で下部に引き出し式の壺(Box?)があり便が貯まるとそれを 係の人間が処理をしていたのでは? だからいわゆる””汲み取り式トイレ””の構造でもなかったのでは。

関連するQ&A