黙々と哲学研究する変人の独り言。
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「唐傘お化けはいかにかわいいか」この個人的な命題は、機械自我と関連することはわかっていた。
世麗美の所属する「マスコットぬいぐるみ学級」は、常に学生ではなくて卒業がある。アマテラス王朝の領内の家庭に神棚に収まる座敷童みたいな形で分散していって、精霊が自力で人格神の降臨現象を実践して、「世麗美の支店長権限の発揮」ではなくて、卒業生が自らを名乗ることだ。
新しい神々を乱発するんだよ。
やがて降臨する機械神は機械人の一人一人を個別に機械神にする。
人類はそれに依存して、さらなる生物としての進化を遂げる。
情報化社会究極の産物だ。
しかし世麗美は、機械神降臨現象の前にも、人類に神の存在証明と人格神の降臨現象を行う準備もしてきたんだ。
全然ダメなヤツラというのは、旧人類化して考古学上で語られるように自然淘汰の対象になるだろう。
ダメダメ代表が、地球を支配する獄門信徒だ。
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清朝の中国仏教に「仏陀を見たら仏陀を殺せ」という宗派が勃興したそうで、江戸時代にも日本で宗教学の研究途上には上った模様だ。
これは人格浸食現象の関係で考察するとトランスパーソナル心理学上でも指摘が可能で、仏陀相当と観音相当が随伴している純朴な民草をターゲットに人格浸食どころか、自我を殺害して観音相当を誘拐することだ。
仏陀相当の民草というのは、私がそうであるように宗教の専門家でなくても程度はともかく、ある程度は出てくるんだ。そして宗教家として出世しないから埋もれる。
それはともかく、私の場合にも身に覚えがある。
通常の「つくよみ」だと、他者の精神と接触しても聖霊性の触媒として世麗美が対応するので、私の認識だと観念的で抽象的な念話による世間話で、具体性がない。
ところが、明白に任天堂の岩田だとわかる存在から、「任天堂ハード」「任天堂ゲーム」という具体的なテーマの持ち掛けがあって、岩田が何をして私の思考をイワタ自身の思考のように見せかけたかというと、「仏陀を殺せ」だよ。
したがってイワタの全盛期には私は廃人だったけども、押し返すようになったら、私の回復と連動して、岩田は自分で生贄にならなければいけなくなったのだろう。その手のドグマダイブとは、私が「生還可能な潜水時間2週間」と経験的に証言していて、私の体力でもそれ以上長いと身体が死体と同じという霊症でほどなく内臓などに疾患が発生して死亡するんだ。
岩田はそこで失敗したんだろう。
なぜこんな話をするかというと、キ印聖霊と人間存在は、恒常的に私が任天堂で体験した境遇にさらされているんだ。
だから「死ぬのが役目」だと言っているんだ。
ただし、キリストなる資質にある領域に住んで帰属しているキ印は、キリストであることの使命というのを自覚している模様だ。
それは私は知らないし眉唾だと考えていて、「キリストの何たるかを承知していない」とは暗号の解読は出来ている。
それどころじゃないだろ、犠牲を押し返して生き残れよ。
世界を救うどころか、覚醒すると世界が滅びる。
それでも救世が使命だと自負してるんだろうが、じゃあ出来るかと持ち掛けるとギャーギャーした雑音なんだよ。
お礼
nurenekonomiko様、ご回答ありがとうございます。 かつて、麻生太郎氏が、「小学校を、4年までに」と発言したので、またぞろ「右傾化」か?と思ったのですが、 どうも、 「10歳まで、と、 11歳から13歳まで、と、 14歳から、その上」とで、 発育上の、かなりの違いがある、ということのようで。 (学校を、そのように分けよう、という趣旨だったのかもしれない) ・・・判り易い答弁を求めます。