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魚 リュウグウノツカイ 龍宮

リュウグウノツカイという魚の名前はいつごろ名づけられたのでしょうか。浦島太郎の話とは全く関係無いのでしょうか。

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回答No.1

結論からいうとよく分かっていません。ただし文献などの資料に紐解き当たってみると、古来よりの和語という感じも無くて、どちらかというと新しく作られた言葉であると言えるでしょう。 まず「竜宮=リュウグウ」という言葉なんですが…これは日本古来の和語では無くて、かなり新しい時代に使われる様になった言葉です(と言っても数百年の歴史はありますが)。日本古来の古語では、海の底に居る "海神様(竜神)" の住処として "海神社(ワタツミノミヤ)" という言葉があります。昭和の頃は「聞け、わだつみのこえ」という文言が8月15日前後には頻繁に飛び交っていましたので、「わたつみ(ワダツミ)」という言葉にも馴染みがあったのですが…最近の人にはピンと来ないかもしれませんね。 浦島太郎の話は古くは『万葉集(奈良時代末期の750年頃に成立)』の中にも記述されており、その際には "海若神之宮(ワタツミノカミノミヤ)" へ行ったとあるので、当時はまだ「竜宮城」という言葉は無かったみたいです。また竜宮という言葉自体も日本語では無くて中国語由来の言葉なので、どちらかと言えば外来語になりますかね。さらに言うと浦島太郎の物語も日本古来の伝説というよりかは、中国由来の神仙奇譚物語を日本風にアレンジしたものと考えるのが妥当なので。これも広義の外来語というか異国物語とでも言えましょうか。 そんな感じで "竜宮(りゅうぐう)" という言葉は日本史の中で見ると新しい部類の言葉になるので、それを冠した名前というのも比較的に最近になって出て来た表現だと推測されますが…。1900年代には既に「リュウグウノツカイ」という名前でこの魚を呼んでいる事が記録されていますので、竜宮という言葉が一般庶民の間にも広まり始めた江戸時代の中後期頃にはそういった呼称が登場し始めたのではないかと推測されます。 一応、確認が取れる形での記述としては、1247年に出版された『吾妻鏡(宝治元年五月二十九日の条)』の中にリュウグウノツカイであると思われる魚が浜に打ち上げられた事件の様子が記されており。その中では "四つ足を持ち死人のよう(中略)~手足をもち鱗が重なり頭は魚と変わらず" ~等々と記されています。この頃はまだ完全に "謎の怪魚" であり、「リュウグウノツカイ」という様な名前も付いていないですね。 江戸時代の幕医であった栗本丹洲が記した『異魚図賛 (1800年頃?)』を奥倉辰行が模写したモノの中に、素人目にもリュウグウノツカイだと分かる魚種が記されています。 - "国会図書館デジタルコレクション": https://dl.ndl.go.jp/pid/1286744/1/7 この頃にはもう既に幻獣扱いでは無く、割と現代の感覚に近い「たまに揚がる珍魚」みたいな感じであった事が推測出来ますが。一緒に脇に記述された文言では "其名ヲ知モノナシ" とあり、まだまだ正確な魚種の分類などは出来てなかったみたいです。他にも "形状ヒラタク色ハアマダイニ似タリ" とも記載されています。 従って恐らくは江戸時代の何時の頃からか、時折に浜に揚がるこの怪魚の事をおとぎ話の浦島太郎になぞらえて「リュウグウノツカイ(竜宮の遣い)」と呼ぶ様になっていったのだと思われます。その後、日本は開国して明治維新となって行く訳ですが…その頃に西欧列強の自然科学と歩調を合わせる形で急ピッチで日本産生物種にも一気に「標準和名」が付与分類されて行く事になり。その流れの中で「リュウグウノツカイにも "リュウグウノツカイ" という名前が与えられた」ものと思われます。 一応、最新版の『日本産魚類全種リスト(JAFリスト)』によれば、「リュウグウノツカイ (Regalecus russelli)」は1816年に記載報告となっているので。恐らくはその時期を境にして標準和名として公式記載されたのだと思います。

32tarako53
質問者

お礼

ありがとうございます。 まさかの情報量で恐れ入りました。 期待以上のご回答でした。

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