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お答えいただけましたら幸いです。
目上の人に質問(など)をする場合、 「伺いたいことがあります。」 「伺いたいことがございます。」 「伺わせていただきたいことがあります。」 「伺わせていただきたいことがございます。」 「お伺いしたいことがあります。」 「お伺いしたいことがございます。」 「お伺いさせていただきたいことがあります。」 「お伺いさせていただきたいことがございます。」 のどれが日本語的な正しさも踏まえて、適切でしょうか(であるとお考えになりますか)? 文法的根拠などを示してお答えいただけましたらなお幸いです。
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「質問者からの補足」をありがとうございました。 >お答えとともに、ご心配までいただきありがとうございます。体調など問題はありません、ただこちらからしばらく遠ざかっていただけであります。またお聞きしたいことなどありましたら、させていただきますので、その際はどうぞよろしくお願いします。 ⇒そうでしたか、安心しました。新しいご質問、いつでも歓迎です。 なお、このスレ、 https://okwave.jp/qa/q10101393.htmlや https://okwave.jp/qa/q10099475.htmlや https://okwave.jp/qa/q10098996.htmlなどについても、 追加のご質問がありましたらお答えする所存ですが、なければ何らかの形でケリをつけていただければ嬉しいです。 どうぞよろしくお願いします。
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- Nakay702
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突然消息が途絶えてしまい、回答への反応もありませんが、お元気ですか。 コロナなどの病気を患ったりしてはいまいかと気にかかっています。
補足
お答えとともに、ご心配までいただきありがとうございます。 体調など問題はありません、ただこちらからしばらく遠ざかっていただけであります。 またお聞きしたいことなどありましたら、させていただきますので、その際はどうぞよろしくお願いします。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
質問者からのお礼、補足の訂正を拝見しました。 >一つ目: お答えいただいた、 「全ての他人も/いる場所で、行動に気を使うことが大切」 =「(自分以外に)あらゆる他人がいる場所では、振舞いに気をつけることが大事だ」 の 「あらゆる他人」という表現ですが、 そもそも「他人」という言葉には、 「一人からそれ以上の人数で、その様相も様々」という意味を既に含んでいると思い、それを踏まえると、わざわざ 「あらゆる他人」と表現する必要はないと思うのですが、どうでしょうか? ⇒はい、通常の表現文なら、ご指摘のとおりだと思います。ただ、この場合は元の文にある「全ての(他人)」を新しい訳文に載せるための対応として、該当部分を「あらゆる(他人)」と表現しました。 >二つ目: 「全ての他人もいる場所や状況で、行動に気を使うことが大切」 (など)のように書く(言う)場合で、 「全ての/他人もいる場所や状況で、行動に気を使うことが大切」 とした場合、 「全ての」は「場所」と「状況」の両方にかかるでしょうか(とお考えになりますか)? ⇒はい、仰せのとおり、この場合の「全ての」は「場所」と「状況」の両方にかかります。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
質問者からのお礼(補足の訂正)を拝見しました。 >追加の質問失礼します。 「全ての他人もいる場所で、行動に気を使うことが大切」 「他人もいる、全ての場所で、行動に気を使うことが大切」 (など)のように書く(言う)場合、 二つの意味の違いはなんでしょうか(なんだとお考えになりますか)? ⇒以下のとおりお答えします。 前者の「全ての他人もいる場所で、行動に気を使うことが大切」は両義性がありますね。つまり、「全ての/他人もいる場所で」と区切れば、後者の、「他人もいる、全ての場所で」と同じ意味を表しますが、「全ての他人も/いる場所で」と区切れば、「全ての」が「場所」を修飾することになりますね。 @「全ての/他人もいる場所で、行動に気を使うことが大切」 =「(自分以外に)他人がいる場所ではどこでも、振舞いに気をつけることが大事だ」 「全ての他人も/いる場所で、行動に気を使うことが大切」 =「(自分以外に)あらゆる他人がいる場所では、振舞いに気をつけることが大事だ」 @「他人もいる、全ての場所で、行動に気を使うことが大切」 =「(自分以外に)他人もいる場所ではどこでも、振舞いに気をつけることが大事だ」 といった感じになると思います。
お礼
補足の訂正です。 お答えいただきありがとうございます。 今までの質問とお答えを踏まえ、二つほど質問させていただきます。 一つ目: お答えいただいた、 「全ての他人も/いる場所で、行動に気を使うことが大切」 =「(自分以外に)あらゆる他人がいる場所では、振舞いに気をつけることが大事だ」 の 「あらゆる他人」という表現ですが、 そもそも「他人」という言葉には、 「一人からそれ以上の人数で、その様相も様々」という意味を既に含んでいると思い、それを踏まえると、わざわざ 「あらゆる他人」と表現する必要はないと思うのですが、どうでしょうか? (回答者様の回答をおかしいと指摘している訳ではなく、そういう意味が解釈できるとしても、わざわざ「あらゆる」というような言葉を付けずとも、「他人」だけで十分なのではないか、ということです) 二つ目: 「全ての他人もいる場所や状況で、行動に気を使うことが大切」 (など)のように書く(言う)場合で、 「全ての/他人もいる場所や状況で、行動に気を使うことが大切」 とした場合、 「全ての」は「場所」と「状況」の両方にかかるでしょうか(とお考えになりますか)?
補足
お答えいただきありがとうございます。 今までの質問とお答えを踏まえ、二つほど質問させていただきます。 一つ目: お答えいただいた、 「全ての他人も/いる場所で、行動に気を使うことが大切」 =「(自分以外に)あらゆる他人がいる場所では、振舞いに気をつけることが大事だ」 の 「あらゆる他人」という表現ですが、 そもそも「他人」という言葉には、 「一人からそれ以上の人数で、その様相も様々」という意味を既に含んでいると思い、それを踏まえると、わざわざ 「あらゆる他人」と表現する必要はないと思うのですが、どうでしょうか? (回答者様の回答をおかしいと指摘している訳ではなく、一般的にそういう意味に解釈できるとしても、わざわざ「あらゆる」というような言葉を付けずとも、「他人」だけで十分なのではないか、ということです) 二つ目: 「全ての他人もいる場所や状況で、行動に気を使うことが大切」 (など)のように書く(言う)場合で、 「全ての/他人もいる場所や状況で、行動に気を使うことが大切」 とした場合、 「全ての」は「場所」と「状況」の両方にかかるでしょうか(とお考えになりますか)?
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
質問者からの補足を拝見しました。 以下のとおりお答えします。 ◎最も適切な表現:「お尋ねしたいことがあります。」 「お尋ね」が敬語表現である。 〇その次に適切な表現:「お尋ねしたいことがございます。」 「お尋ね」が敬語表現であり、同時に「ございます」が丁寧語である。 @なお、「お尋ね」の「お」は、尊敬する人に対する動さの主の謙譲の気持ちを表すという意味では、敬語であると同時に謙譲語でもあると言えます。 @また、「お尋ねさせていただきたいことがございます。」は、最も丁寧な表現だと思いますが、もし私がそう言われたら、丁寧すぎる感じがして、かえって慇懃無礼の印象を抱くかも知れません。
お礼
補足の訂正です。 お答えいただきありがとうございます。 追加の質問失礼します。 「全ての他人もいる場所で、行動に気を使うことが大切」 「他人もいる、全ての場所で、行動に気を使うことが大切」 (など)のように書く(言う)場合、 二つの意味の違いはなんでしょうか(なんだとお考えになりますか)?
補足
お答えいただきありがとうございます。 追加の質問失礼します。 「全ての、他人もいる場所で、行動に気を使うことが大切」 「他人もいる、全ての場所で、行動に気を使うことが大切」 (など)のように書く(言う)場合、 二つの意味の違いはなんでしょうか(なんだとお考えになりますか)?
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
以下のとおりお答えします。 ◎最も適切な表現:「お伺いしたいことがあります。」 「お伺い」が敬語表現である。 〇その次に適切な表現:「お伺いしたいことがございます。」 「お伺い」が敬語表現であり、同時に「がございます」が丁寧語である。
補足
お答えいただきありがとうございます。 では、 目上の人に質問(など)をする場合、 「尋ねたいことがあります。」 「尋ねたいことがございます。」 「尋ねさせていただきたいことがあります。」 「尋ねさせていただきたいことがございます。 「お尋ねしたいことがあります。」 「お尋ねしたいことがございます。」 「お尋ねさせていただきたいことがあります。」 「お尋ねさせていただきたいことがございます。 のどれが日本語的な正しさも踏まえて、適切でしょうか(であるとお考えになりますか)? 文法的根拠などを示してお答えいただけましたらなお幸いです。
お礼
補足の訂正です。 いままでの質問とお答えを踏まえ、また、質問させていただきます。 以前、「見る」の意味に関して、 『 「目を凝らして、あるいは凝らすまでいかないまでも意識的に対象(他人)に目を向けて、《視覚的に捉える》」といった意味合いです。構文上の主語は、「ほとんどの人」』 というお答えを頂きましたが、 ちょっと思ったのが、 「意識して見る」(など)というような表現もすることがある気がするのですが、 本来こういう意味は重複表現となり、 おかしいのでしょうか(とお考えになりますか)? また、もし表現としておかしくない場合、 「意識して」や「意識しないで」などは 「どんな風に」になるでしょうか(とお考えになりますか)?
補足
いままでの質問とお答えを踏まえ、また、質問させていただきます。 以前、「見る」の意味に関して、 「目を凝らして、あるいは凝らすまでいかないまでも意識的に対象(他人)に目を向けて、《視覚的に捉える》」といった意味合いです。構文上の主語は、「ほとんどの人」 というお答えを頂きましたが、 ちょっと思ったのが、 「意識して見る」や「意識して見ない」(など)というような表現もすることがある気がするのですが、本来こういう意味は重複表現となり、おかしいのでしょうか(とお考えになりますか)? また、もし表現としておかしくない場合、 「意識して」や「意識しないで」などは 「どんな風に」になるでしょうか(とお考えになりますか)?