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水子の可視化
昔から水子死産だか堕胎だか知らんがあったが科学の進歩による水子の可視化によって水子供養が流行るようになったとか本当でしょうかよろしくお願いしますm(_ _)m
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- oska2
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>科学の進歩による水子の可視化によって水子供養が流行るようになったとか本当でしょうか 水子供養を商売にしている偽宗教団体・偽宗教関係者の立場では、その通りでしようね。 が、純粋に「子供の死による悲しさを慰める行為」は宗教的に古代から存在します。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
前便、《「こけし」はこの「子消し」に由来か》に関連して心に残った記憶です。 所用でメキシコを訪れたときのことです。メキシコシティにある日本航空の事務所内のショーウィンドーに、ほとんど子どもと等身大の大きなこけし人形が飾ってありました。事務所での用事を済ませて帰ろうとした途端にスコールがやって来たので、雨宿りを兼ねて所内のあたりを見るでもなく見ていて、その存在に気づいたのでした。 スペイン語で「日本の子ども、特に女の子は、このこけし人形とともに楽しく健やかに育ちます」といった感じの説明がついていました。ひまに任せて、カウンターの向かいに座っているメキシコ人女性に話しかけました。「あの説明、楽しそうだけど、実は悲しい裏面史があるんですよ」。すると、そのメキシコ事務員さんは身を乗り出して、「どんな話? 聞かせて」ときました。 「不名誉なことかも知れないけど、貧しい時代の所産でして…」―「はい?」―「生んでも育てられないときに、命の間引きがあったということのようで…」―「それとコケシと、どういう関係がありますか?」―「こけしの起原は、幼くして命を絶たれた者をなぐさめ、供養するために作られた形見らしいんですよ…。」―「あ、そうだったんですね…。」 雨が上がったので帰ろうと思い、別れの挨拶をすると、彼女が立ち上がり、改めて「どうもありがとう」と礼を言いました。ふとお腹周りに気づくと、妊娠7,8か月くらいの感じでした。私は想像しました。《きっと、生まれてくる自分の子どもに思いを馳せながら聴いていたんだろうなあ》、と。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
以下のとおりお答えします。 >昔から水子死産だか堕胎だか知らんがあったが科学の進歩による水子の可視化によって水子供養が流行るようになったとか本当でしょうかよろしくお願いしますm(_ _)m ⇒そうですね。科学の進歩によって、例えばCTスキャナーを通じて自分の小さい分身がうごめくのを見たあとでの別れともなれば、いとおしく思わないはずはありませんからね。それが、不幸にも死産だ、流産だ、中絶だなどとなったとき、あの《けなげに動く姿》を思い返すほどに、供養と手向けをしたい気分になるのは自然な人情というものでしょうね。 そういう先端技術のなかった昔は、現代とはまた違った形の供養の思いがあったようです。明治・大正生まれの先輩方に聞いたことですが、江戸から昭和初期ごろまでの出産場面は修羅場そのもので、多くの場合、奇形児・早生児・虚弱児と見るや、その場で命の灯を絶たれたそうで、それは産婆さんの一存であり、権利であり、いや義務でさえあったようです。いやそれどころか、健常児でも(特に江戸時代などは)子だくさんでこれ以上養えないような場合、哀れな「子消し」の犠牲になることが日常茶飯でさえあったと聞きます。《木彫り人形の「こけし」はこの「子消し」由来した命名》だとする説もあるそうですね。 ところで、こうして「子消し」の犠牲になった幼い稚児の遺体をどう扱ったか。ねんごろに葬ったか。どうも違うようです。何と、《畑の畝に埋めた》そうです! 《野菜の肥料になる》ということのようで、貧しさに強いられたこととはいえ、《何とも哀れで、何とも悲しい》ではありませんか。これで供養する気にならないとしたら、人間でなくて何でしょう!
お礼
ありがとうございます
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