毛沢東は大躍進政策に失敗して、2000万人とも、言われる餓死者を
出しまし、地方は惨憺たる現状でした。
これを打開する為に、鄧小平と共に市場主義(資本主義)を取り
入れた、政策を実施しつつ有りました。
毛沢東は大躍進政策の失敗で権威が失われて、このままでは、党の
要職も失ってしまうと恐れ、若者を焚き付けた、1966年に文化大革命を興して、劉少奇と鄧小平を失脚させる事に成功しました。
劉少奇は軟禁され、国賊として、毎日、責められる続け、失意
の内に病気で亡くなると言う非業の最期でした。
鄧小平は本人が、精神的に強かったので、軟禁状態の責め苦に、
耐え生き延びたのだと思います、と書きましたが、凄い御方
なのですね。
毛沢東の死後、鄧小平は復活し、市場主義を推し進めたので、
世界第二の経済大国に、中国はなりました。
彭徳懐は大躍進政策を批判した、上申書を提出して、党の役員
から、失脚しました。
文化大革命は、失脚した彭徳懐を糾弾することから始まり、
彭徳懐は癌の治療もされずに、紅衛兵による吊し上げの中で息を
引き取った。
林彪は1971年に毛沢東暗殺に失敗して、モンゴルに逃亡する、
飛行機が墜落して、亡くなりました。
毛沢東は革命家としては、一流ですが、行政の手腕は、無かった
のですね。
その上、部下の進言を、聞く耳を持って居なかったようです。
香港の返還交渉に臨んだ、鉄の女史マーガレット・サッチャー
さんが、終了して会場を出た時に足がよろけた姿が世界に報道
され、鄧小平に、してやられた・・・
お礼
ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。