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神社仏閣はなぜ町内にもあるのか?
神社仏閣は霊験あらたかな存在だと思うので、 御本尊を向いて拝んでも、向いた先(敷地の外)には町内の雑多な日常が存在し、御不浄もあればラブホもあるかも知れず、これはいかがなものかと思うのです。 これについては、先に神社仏閣があり、後から町が出来てしまったから と説明する人もいますが、だったらなぜ移転を考えないのかな?と思う訳です。 お伊勢参りはわざわざ行くから重みがあるのであり、四国霊場八十八ヵ所も然りだと思う訳です。 どんな場所をもって霊験あらたかな場所というのかは私は分かりませんが、少なくとも現状では、妥協してしまった、なれの果ての場所になってませんか?
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- eroero4649
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日本には八百万の神様がいますからね。なにせ八百万ですから、古代なら当時の人間の数より神様のほうが多かったんじゃないかって思うくらいです。 なお、日本の神社では御神体として祀るものに対する規制はありません。ギャンブルなんてお世辞にも良いものとはいえませんが、ギャンブル小説家であった色川武大さんは神様として祀られています。前科者でもなんでもいいのです。平将門公なんて逆賊なのに、神田明神で神様として祀られています。明治時代になって「天皇が住む場所の目と鼻の先で逆賊を神様としている神社があるのはいかがなものか」ということで表向きの主神は天照大神になりました。でも本当の主神は平将門公です。 なんだったら、生きている人でも構いません。 かつて横浜駅の地下に神社が作られました。主神は当時横浜ベイスターズの抑えの切り札だった佐々木主浩さんです。佐々木さんは当時「大魔神」と呼ばれていたので、それにあやかって「ハマの大魔神社」という神社が作られたのです。 この神社は4ヵ月の限定でしたが、ちゃんと神主さんに来てもらって祝詞をあげてもらったので、神社のしきたりに則った「正式な神社」になります。 「これが御神体」であるならば、なんでもいいのです。日本神道というのはそのくらい、懐がふかーーーーーいものなのです。
- gunsin
- ベストアンサー率32% (415/1290)
神社と仏閣(寺院)をごっちゃにしてはいけませんよ。 神社は、神様を祀っているので、霊験が有りますが、 寺院の御本尊は客寄せパンダなので、霊験は有りません。 神社を建立するには、必ず、謂れや理由が有りますので、簡単 には移転できないのです、地元の人に尋ねるしか無いですね。 寺院が移転しないのは、移転費用が集まらないからと推測 しますが。
- fujic-1990
- ベストアンサー率55% (4505/8062)
お寺はお坊さんの修行の場で、元々は山奥にありました。今でも「○○山××寺」とかいう名乗りが名残です。 奈良時代あたりからでしょうかもっと前からでしょうか、天皇・貴族京の「丑寅(北東)」に鬼門よけとして寺を勧請するようになったようです。戦国時代になると城の丑寅に防御施設として設置するようになりましたね。 江戸時代になると、庶民の戸籍(宗門人別帳)を預かり、檀家がキリスト教とでないことの証明(寺請)などをする役所の役割をさせられましたので、町の中にあるのが普通というか、当然になりました。 神社は、村の会合などを開く公民館的な役割をしたようですし、祀るのはご先祖様ですから、神様を喜ばせるために神前で舞いを舞ったり、御輿に載せて子孫の暮らす町中を見せて歩いたりしたわけです。神様を楽しませたのだから参拝した後に人間が楽しんでもいいじゃないか、ということでしょうか、遊興街ができてきました。 なれの果てではなくて、参拝客が増えたらお賽銭も増える、憂き世を忘れて神も人も楽しめる。win ・ win です。
- mimazoku_2
- ベストアンサー率20% (1905/9108)
元々は集落か村だったので、それぞれにあった。 それがつながり大きくなって、存在が薄れたり併合したりしたのでは? 「字(あざ)名」が残っている地区なんかは、もろにそうだと思います。