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戦国時代の一字拝領について

戦国時代、伊達家はその当時の足利将軍から一字拝領して元服したそうですが、拝領する当事者が、居城があった山形県、福島県あたりから京都まで、お供などを引き連れて直接赴いたのでしょうか? それとも、戦乱の世ということで簡略化して手紙のやりとりで済ませたのでしょうか? これと同じように、長曾我部信親が織田信長から一字拝領する際は、どうだったのでしょうか? どちらか一つの事例だけでも大丈夫ですので、教えていただけますと幸いです。

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  • jkpawapuro
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回答No.2

戦国時代で朝廷が相手の場合は、使者を送り、相手が格上の幕府であれば貢物をして認めてもらいます。 本人は赴かず、家臣が使者となって御願します。 これが大名と国衆与力や家臣などの関係で有れば、直接お目見えします。 だいたい成人の時に小領主たる父親が大名君主に嫡男を後継者として認めてもらうために引き連れ謁見し、その場で名が与えられます。

poxtupo1117
質問者

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その他の回答 (1)

回答No.1

長宗我部信親について、検索して見つけただけですが、ご参考までに。 信長が長宗我部元親宛の書状で一字与えたようです。 西園寺史雄氏のブログ 【コラム】織田信長の偏諱 https://historyofjapan-henki.hateblo.jp/entry/2021/02/07/180000 この中に、『石谷家文書』(林原美術館所蔵)が出てきますが、この文書は次のサイトを参照してください。 一般財団法人 林原美術館 岡山県立博物館 https://www.hayashibara.co.jp/data/943/press_tp/

poxtupo1117
質問者

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