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旧約聖書の最後の方も こんな攻撃的に試す終わりなん
聖書素人ですが、 ヨハネの黙示録の攻撃的なさわりを読んで、何でこう民を試すの? と不思議に思いますが。 旧約聖書の最後の方も こんな攻撃的に試す終わりなんですかね? キリスト教徒は2回試される? ちなみに映画の十戒は観たことあります。そんな知識レベルです。
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こんばんは。 キリスト教徒は、ローマ帝国に「国教」と認められるまで、「なんで、そこまで、出来るの?」というくらい、過酷な体験を、したようです。 「「パラダイス」を信じて、自爆テロ」みたいのは、何処か他の宗教を連想させますね。
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- eroero4649
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旧約聖書はユダヤ教の経典です。キリスト教の聖書は新約聖書で、イスラム教の聖書がコーランです。つまりユダヤ教からキリスト教とイスラム教が生まれたのです。イエスは自分自身はユダヤ教徒だと認識していました。 旧約聖書すなわちユダヤ教の「神」は荒ぶる神でした。自分に似せて人間を作りたもうたはずなのに、全知全能のお方のはずなのになぜか知らんけど人間に対してお怒りでございまして、やたらと人間の信仰心を試し、お怒りになると地球破壊爆弾も落としかねないちょっと(?)メンヘラなお方なのです。 それもこれもうっかり「知恵の実」を食って楽園を追放されたからです。これを「原罪」といいますが、宗教観が根底から違う我々日本人はこの一神教における「原罪」を本質的に理解することはできないと思います。「人間は生まれながらにして罪を負っている」というのが原罪の考え方です。 元々が罪びとなのだから、神様から罰を喰らうのも当然だよね、というのが一神教の考え方です。なので我々は神様のいうことをきき、許しを請わなければならないと一神教では教えているのです。 で、そんな中でイエスさんが言い出したことはその一神教の価値観を根底から揺さぶるものでした。 彼は「神様はお前たちを愛しているんだよ」といいだしたのです。神様はお怒りになっていない。お前たちを愛して、憐れんでいるんだ。と説いて回ったのです。イエスの師匠にあたる洗礼者ヨハネも「神はお怒りだ!ソドムとゴモラの町みたいにお前たちも焼かれるぞ!そうなりたくなかったら直ちに悔い改めよ!」と説いていました。 だけどイエスは師匠とはちょいと違って、「悔い改めよ」といいましたが「神はお怒りだ」とはいわなかったのです。 記録に残っているうちでは最も古く「愛」を説いたのがイエスという人でした。なので彼は怖ろしいイメージの神様に対して親しみを込めて「父ちゃん(アバ)」と呼んだのです。 彼は人々に神はお前たちを愛しているのだという良い知らせを伝えたので、これを「福音」と呼びました。
- sutorama
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キリスト教ってイメージですが「試練」を謳いますよね で、その試練を乗り越えられたら、神に感謝します 日本の場合は「祈願」で、それは努力があっての祈願なので、叶った場合、周りの人たちはまず、神に感謝するのではなく、その人の努力を称えます イメージで言うと、受験とかですね 一方で、これらの人生の乗り越えるべき事柄を試練としているのがキリスト教で、試練を与えてくれた神に感謝し、試練を乗り越えられたら、故人の努力を称賛せずに、神に感謝します 確かにこの考え方が、日本人には合わないので、離れていく人たちもします が、この試練の考え方は、怪しい新興宗教の教祖も口にします 新興宗教の場合は試練とは呼ばず、悪魔とか敵と謳うので、ハマってしまうと、なかなか、離れません また、キリスト教の場合は、試練を乗り越えるために兵器も使用しますから、その使用には神への赦しを請います キリスト教は、何度人生を失敗しても、人を殺めても、この赦し(許し)の考えが存在しますから、やはり、日本人の思考とは合いません 以上、あくまでも私のイメージです