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聖書の記述角度とその意図について
- 聖書が一つの内容を角度を変えて書かれている理由について考えます。
- 聖書の記述は一貫していないように感じられますが、それは解釈の幅を広げるためであり、宗教指導層が神の絶対性を構築しやすくするための手段かもしれません。
- 教会では、複数の解釈箇所を使い分けてキリスト教徒を指導していることがあります。
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その点について、箴言1:5,6にはこうあります。 「賢い者は聴いて,さらに多くの教訓を取り入れる・・・。これは,箴言と難解なことわざ,賢い者たちの言葉とそのなぞを理解するためである。」 「難解なことわざ」や「なぞ」とあるように、聖書は一見すると矛盾しているような「なんだこりゃ?」と思える仕方で書かれている場合があります。単なる表面だけを見るのではなく、その詳細を探求する必要性を賢王ソロモンはこう勧めています。 「銀を求めるようにそれを尋ね、宝物を求めるようにそれを捜すなら・・・ 神を知ることに到達するであろう。」 (箴言2:1-5) しかし、その謎を解くためには神の聖霊が必要です。その点をコリント第一2:10でこう説明されています。 「神はそれを,ご自分の霊(聖霊)によって,このわたしたちに啓示されたのであり,霊がすべての事,神の奥深い事柄までも究めるのです。」 動機が不純な人たちは聖霊を受けることができません。したがってその謎を解くことができず、それを曲解さえします。その点をペテロ第二3:16でこう説明されています。 「その(使徒パウロの)手紙には難しく理解しにくい個所があって、無学な人や心の定まらない人は、それを聖書のほかの部分と同様に曲解し、自分の滅びを招いています。」 ですから、神がこのようにあえて聖書を「難解」にしておられる意図は邪悪な者から真理を隠し、正義を愛する人々だけに真理を啓示するためなのです。 聖書の中の一つ一つの疑問点については、また別途ご質問いただければ回答いたします。
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- pantomana
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何故、別角度から、しかも同じ事柄に対して言葉を変えて延べられています。 これは、人間を自らの花嫁として造ったイエスが花嫁として相応しい者たちを選ぶ為に例えで語っているからです。 例えば、創世記の第1日目(創造の初め)に、「光あれ」と言われて光が誕生しましたが、4日目に太陽、月、星の創造が成されています。 では、矛盾なのでしょうか、そうではありません、ヨハネの書には光がイエスである事が延べられていますし、万物より先に生まれた方として、また初子として創造のいの一番、第1日の最初の存在者(ある)者となった事が理解出来ると思います。 更にキリストの再来に関しても、「雲に乗って」「雲と共に」来ると言われていますが、ルカの書の最後と、使徒行伝の冒頭で、つまり、聖霊を受けた真の弟子たちを祝福した形で再来すると理解する事が出来ます。
- mmky
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聖書が、一つの内容を角度を変えて書いているのはなぜでしょうか。 ○ これは簡単なことなんですが理解はむずかしいかもしれませんね。 宗教家というのは霊体質なのですね。あの世の霊の言葉を預かるという意味で預言者とも呼ばれます。 イエスを含め、救世主と呼ばれようが、つまり預言者なのですね。預言者の言葉はあの世の霊神からくるものですが、その辺の秘密なのですね。キリスト教やユダヤ教の混乱は、あの世の神霊が一人だと考えているところにあるのですね。まあ個性の違う神霊が複数いるのが本当のことなのですね。だから、預言者の言葉は違いがあるのです。単なる方便でご本人が変えている場合はありますが、聖典に遺したい言葉は予言でしょうから、預けた神霊が違うということですね。この区別は言葉を預かる預言者の悟りのレベルにもよりますね。イエスほどの人でも活動期間が短かったので、誰からの霊言かというまでの認識はなかったということですね。それゆえ、天の父と総称していたわけですね。このあたりは昔は霊界の秘密だったようですが、現代は秘密でもないので、理解できるかどうかだけの話ですね。 まあ、黙示録はヨハネの認識力でしか認識できないということの証明ですが、例えば、「子羊が玉座の前に居て、周りに24人などとかありますね。」こんなのからわかるように神霊は沢山いるのですね。