便利な世の中は時に、人をダメにする、退化させる・・
なんてことをときどき聞きますよね
昔、子どもがわからないことがあると、親に聞いて、親も答えられなかったら「じゃぁ一緒に図書館に行ってみよう!」なんて日常が、日本中にありましたし「先生に聞いてごらん」「じいちゃんに聞いてみよう」などもあったかと思います
今や、スマホで検索、一番上にでてきたものが答え・・・と信じ込む世の中で、便利ではありますが、他人との時間や距離、記憶は昔ほど薄れていると思います
そのことで、本当に人生の大きな問題が生じたとき、岐路に立たされたとき、スマホで検索しても答えが無尽蔵に出てきてしまえば、心が鍛えられていない人や調べる記憶がない人は、心が簡単に壊れる時代です
主観的に思うのは、世界がもう「スマホ教・検索教」といった、新興宗教に侵されているとさえ、感じてしまいます
つまり、新興宗教は、悩みを聞けば教義に書いてあるので、思考しなくて済みますし、今の時代は、どの地域も団体も高齢化が進み、若い世代がもてはやされていますから「あなたが必要だ」と言ってもられる居心地の良さに、もっと思考が途絶えると思います
人から借りた言葉をさも自分の言葉のように偉そうに話す人は、これも主観ですが、私は信用しませんし、一緒に悩み苦しんだ、楽しんだ仲間のほうが大切だと思えます
もちろん、スマホも使い方ですから、しっかりとした芯が心にあれば、ハマることもありませんが、SNSで顔も見えない人の言葉を信用してしまう恐れがあるのは、新興宗教に似ていると感じます
まぁよく言われるのは、ブッダが生きていたとき、お経もなければ僧侶もいなければ寺院もなかった・・のに、死したあとにどんどん都合よく(悪い意味だけではない)新しいものができていったので、新興宗教自体を否定するものではありませんが、違うと思えばすぐに、離れたほうが良いとは思います