• 締切済み

宗教について (文章が長いです…

みなさんの意見を聞いてみたくて質問してみました。今、宗教の存在は人間に何をもたらしているのでしょうか?また、人間にとってこれから必要なものなのでしょうか? 当然、宗教にはいいところも悪いところもあると思います。しかし、悪いところのほうが多いように思えるのです。 まず、宗教間の対立です。これは、無意味なものだと思います。自分たち人間の作り出したものの下で対立するなんて・・・そしてそれに何の意味が?と思います。   最近では新興宗教の批判サイトとかもたくさんあります。色々とそういうサイトなどを見てきました。もちろん、新興宗教に悪いところもあると思います。当事者同士としては重大な問題なんでしょうが、客観的な自分の視点から見ると非常に馬鹿らしいと思うのです。批判しあって生きているより、普通に生きてたほうが、絶対に楽しいと思います。人がどう生きてもその人の勝手だとは思うので、僕がどうのこうのいう問題ではないと思うのですが、やっぱり意味がないと思います。そして、新興宗教の場合はその親に生まれた子どももかわいそうだと思います。ほかにも問題はいろいろとあると思います。 宗教という概念がなかったとしたら、宗教にまつわるいろいろな問題はなくなるかもしれません。神や仏などの考え方があるからそこに、新興宗教のようなものができてしまうのではないかと思います。しかし、宗教にもいいところはありますし、中には争わない宗教もあると思います。そして、信じるということはとても大切なことだと思っています。 だけれども、今は、悪い部分が大きすぎると思います。 宗教は確実に人を幸せにしているのでしょうか?また、もし宗教がなくなったとしたら世の中はどう変わるのでしょうか? 非常に変な考え方をしていると思うんですけど、気にしないでください。不快だった人は文句書いてもいいです。また文章が下手ですみません。

みんなの回答

  • kuropy
  • ベストアンサー率13% (20/149)
回答No.16

micky-gooさんのご回答の前提に。。 どんな宗教もそれを始めた方?とその死後、伝えた弟子たち?とで歴史を刻むのを想います。 その弟子たち、名も無い信者らの作り上げてきた歴史、、これは人が教祖?たる方が意図されてることの理解度、成長度のプロセスに想います。 50年単位(一世代?)で試行錯誤の歴史を経て、やがて時代(名も無い大衆、自然の摂理)の精査を受け、一般人である弟子たちを熟成していくものに想います。。 教祖?の死後の歴史がその宗教の正当性の証とはいえないでしょうか。

回答No.15

質問者さんは、ジョン・レノンのような思想をお持ちということですね? 今の世の中、確かに、宗教が悪いことをしている分野が多いです。 しかし、その宗教をもともとの教えの通りに実践していれば、こんなことは起きなかったのではないでしょうか?つまり、今、悪いことをしている宗教は、人間の考えや伝統により脱線してしまった宗教と考えてよいと思います。キリストや釈迦などが、戦争や、金儲け、政治に関与することなどを教えていたでしょうか?ですから、こうした観点で見て、過ちを犯している宗教は、すべて脱線した宗教ということになります。そうした観点で選択肢から消去してゆけば、果たしてどれだけの宗教が残るのでしょう・・・。もし、あてはまる宗教があるなら、それは、真の宗教であり、生き方として実践すべきものかもしれません。すべての宗教があてはまらないのであれば、宗教はすべて汚染されたもの、腐敗したものということになります。そうであるなら、原点に還る新たな流れが必要なのかもしれません。ですから、新興宗教の中でも、過激なものでなく、本当の意味で、原点に還ろうとしている宗教があるなら、それは、いわゆる「新興宗教」として掃き捨ててしまうべきではありません。 これからお話するなかで出てくる「宗教」とは、原始の教えをあてはめると言う前提でお考え下さい。仮に、宗教が世の中からなくなってしまったら、人々の道徳観はどうなってしまうでしょう?現代の道徳の衰退は、まともな宗教が減った結果、人々に感化を与えなくなったことも一因だと思います。自分さえ良ければ人殺しも盗みもOK。良心の呵責さえ感じない。マスコミのあおる「自由」に翻弄され、ますます自己中心的になってゆく人々。他の人のために何かをするだなんて考えは鼻であしらわれてしまいます。無責任にできちゃって生まれた子供たち・・・。何の指針も持たない両親が子供たちを自分たちよりまともに育てることができるでしょうか?今、幼児の子供たちが20代になる頃にどんな世の中になっているのか、考えただけでゾッとします。 質問者さんにお聞きします。世の中から宗教がなくなったとして、今の世の中の道徳の衰退は止められるでしょうか?戦争はなくなるのでしょうか?

  • kuropy
  • ベストアンサー率13% (20/149)
回答No.14

新興宗教の危険性は、組織として確立する為の経済的、社会的基盤をどういう手段で得るか?ということに起因すると思えます。 創価学会さんでも一昔前の政治的にもさほど優勢でなかった時代は、かえって人徳者の方が多かったのを思います。 実際に入れ揚げて財産を失い、人生設計をくるわせ、公的老人ホームで一人寂しく子供さんにも責められ、後悔しておられるご老人を2人知ってます。。

回答No.13

多分、はじめまして^^/ ============================= >みなさんの意見を聞いてみたくて質問してみました。今、宗教の存在は人間に何をもたらしているのでしょうか?また、人間にとってこれから必要なものなのでしょうか? すでに宗教が世界の命運を左右する力をもっている以上、人類にとって命運を左右する力を『コントロールする』ものとして必要です。 ============================= >当然、宗教にはいいところも悪いところもあると思います。しかし、悪いところのほうが多いように思えるのです。 まず、宗教間の対立です。これは、無意味なものだと思います。自分たち人間の作り出したものの下で対立するなんて・・・そしてそれに何の意味が?と思います。 仰る通りです。人間の作り出した宗教的存在を人間よりも上の存在とするところに宗教間の対立があります。 ============================= >最近では新興宗教の批判サイトとかもたくさんあります。色々とそういうサイトなどを見てきました。もちろん、新興宗教に悪いところもあると思います。当事者同士としては重大な問題なんでしょうが、客観的な自分の視点から見ると非常に馬鹿らしいと思うのです。批判しあって生きているより、普通に生きてたほうが、絶対に楽しいと思います。人がどう生きてもその人の勝手だとは思うので、僕がどうのこうのいう問題ではないと思うのですが、やっぱり意味がないと思います。そして、新興宗教の場合はその親に生まれた子どももかわいそうだと思います。ほかにも問題はいろいろとあると思います。 私は、多分その新興宗教と貴方が呼ばれている創価学会の会員です。 批判しあって生きる。 これが、言論と言う戦いの世界です。 殴り合って蹴り合って、また、殴るために蹴るために生きる。 これが、格闘技などの世界です。 なんで、お互い傷つけ合うこと(そう見えること)に人生を費やすのか。 自分を磨くことになるからです。 そこに、戦わない人間には、味わえない楽しみがあり、喜びがあり、充実感があるからです。また、悟りの境地もあるのでしょう。 ============================= >宗教という概念がなかったとしたら、宗教にまつわるいろいろな問題はなくなるかもしれません。神や仏などの考え方があるからそこに、新興宗教のようなものができてしまうのではないかと思います。しかし、宗教にもいいところはありますし、中には争わない宗教もあると思います。そして、信じるということはとても大切なことだと思っています。 だけれども、今は、悪い部分が大きすぎると思います。 「神や仏などの考え方があるからそこに、新興宗教のようなものができてしまう」 これは、 「神や仏などの(存在を認める)考え方があるからそこに、人間の信仰心を利用して私腹をこらす新興宗教のようなものができてしまう」 と言う意味ですよね? それは、正解だとおもいます。 ですから、「神や仏などの概念を『平等に人間ためにある』と正しく認識すれば、人間の信仰心を利用して私腹をこらす新興宗教のようなものは滅びてしまう」 のではないでしょうか。 詐欺師を信じれば不幸になるように、 (どんな宗教でも)信じることが大切と言うよりも、 何をどう信じるかが大切ではないでしょうか。 ============================= >宗教は確実に人を幸せにしているのでしょうか?また、もし宗教がなくなったとしたら世の中はどう変わるのでしょうか? 宗教があるために詐欺がまかり通り、戦争がおき、人類は、不幸になっていると見えるでしょう。 しかし、 宗教がなかったなら、ほとんどの人間は、利己主義になり、やはり、腐敗堕落した世の中になっていくでしょう。 なぜなら、「宗教」とは呼ばないさらに低級な思想が人類を支配し始めるからです。例えば、TV思想であり、インターネット思想と呼べるかも知れません。 実は、宗教のため戦争がおきていると言うよりも、 政治のために戦争を起こすために、宗教が利用されているのではないでしょうか? 宗教思想の根本に『仏も神もすべての人間のためにある』『仏と言っても神と言ってもかけがえのない生命そのもののことである』 と言う徹底した考えのある、政治に利用されない、宗教の台頭が望まれます。 ============================= あまり考えずに書いたため、誤解をまねく部分や、誤った表現があるかも知れません。ご忠告いただければ幸いです。

参考URL:
http://www.sokagakkai.or.jp/index.html
midi_x
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 やはり宗教がなくなるともっと大変なことになりそうですね。 >批判しあって生きる。 これが、言論と言う戦いの世界です。 殴り合って蹴り合って、また、殴るために蹴るために生きる。 これが、格闘技などの世界です。 なんで、お互い傷つけ合うこと(そう見えること)に人生を費やすのか(後略) とありますが、僕の考えでは、やはり理解できないのです。まぁ、べつに思考は十人十色ですからどうでもいいことですけど・・・ また、創価学会関連の争いを見ていると、創価学会を批判するほうが、どうも陰湿な気がするんですよ。といいますか、「宗教だから」と言ってしまうと、偏見になってしまい悪いと思うんですけど、宗教関連(キリスト教とかイスラム教・仏教などではく新興宗教と呼ばれているもの)の言い争いって暗いイメージがあるんですよ。(やはり偏見ですね。気に障ったら申し訳ありません。)それにそういう宗教ってなんか閉鎖的そうで・・・(自分自身あまり知らないのですが)。 話がずれましたが、創価学会を批判しているほうは、粗探しというかなんというか・・・さらに、誇張しすぎていてホントなのか嘘なのか。ああいうページは見ていて気分が悪くなります。創価学会が悪いとは思っていません。また、この問題は将来的になくなるものなのでしょうか? 僕は、将来宗教よって争いや問題が起こらなくなることを、願います。また、言論の争いがあっても、あまり過激になり過ぎないようになってほしいです。 とても参考になりました、ありがとうございました。

  • mizuarai
  • ベストアンサー率58% (98/168)
回答No.12

ご質問が、「日本における新興宗教」と「世界の宗教(ヒンドゥー、イスラム含め)」ということでごっちゃになりがちと感じましたので、 後者に絞ってお答えします。 日本では、宗教というと、つい怪しげな新興宗教を連想してしまいがちですが、 実際、地球上のほかの地域に住む、あまりに多数の人々は、私たちとは違う宗教に基づいて生活しています。 必要があるのかとか意味は何とかいうレベルではなく、生活に密接にかかわっているのです。切っても切り離せません。 それは私たちも然り。私たちの道徳心や生き方は、多分に宗教に左右されていますよね。 たとえば私たちのある側面を取り出して考えるに、 よく言えば平和的、 悪く言えば、シッダールタではないですが、俗世間で戦火が広がっていようとどこ吹く風、我関せず、自分だけ平和。 そうすることは日本ではさしたる罪ではありませんが、別の文化のなかに行けば十分な加害者として認知されるかもしれません。 それこそが宗教の差だと思われます。 >悪いところのほうが多いように思えるのです。 >中には争わない宗教もあると思います。 >悪い部分が大きすぎると思います。 というところから推察するに、ご質問者様の価値観の中には 「何か(宗教)のために争いをするくらいなら、その何か(宗教)を捨てて平和を選んだ方が良い」 という部分がおありではないかと感じましたが、 善悪の基準は、文化によって異なります。 私たちからみて「わるい」ことでも、別の文化の中では称えられるべきことである、ということもあるわけです。 私は、 殺戮をたたえ、血をまつる寺院を、 何か(たとえば宗教)のために戦うことをよしとする文化を、 自分とは違うという理由だけで、「悪い」と一蹴する気にはなれません。(「悪い」ってすごく強い言葉ですよね…) シッダールタは、悟りをひらくことに優先順位の一位をつけて幼い子供を捨てましたが、 それは「良い」ことでしょうか、「悪い」ことでしょうか。 妻子を守るため、攻めてくるものと血を流して戦う(悟りと正反対)……なんて感じの選択肢があったら、 子供を捨てて出家したことと、どちらが「よい」のでしょうか。 恐らく、どちらも平等に、良くもなく、悪くもないのでは? あるいは、どちらも「正しい」のではないでしょうか。(「正しい」もまた、危険な単語だと思います) ですから、 >人がどう生きてもその人の勝手だとは思うので、僕がどうのこうのいう問題ではないと思うのですが、 その通りだと思います。そして、 >やっぱり意味がないと思います。 そうご判断されることは全く問題なく、 それこそがご質問者様の宗教観である、と考えてよろしいのではないかと思いました。 >そして、信じるということはとても大切なことだと思っています。 ここも、そうですね。 逆の立場で、 私たちが「人を殺したら悪い」とか「信じあうことは大切だ」とか「師は敬え(たとえば自分から何かを教えてほしいとお願いにいったその道のプロなど、尊敬すべき人には尊敬語を使う)」とか教えられてきたことを、 「人を殺したら悪いなんて考えは無意味だ。そんなことより大切なことがあるのに、君たちは馬鹿だなあ」と一蹴されたり、 「師を敬うなんて、馬鹿らしいことするんですね!上下なんて関係なく、みんなでフレンドリーにため口ききあったほうが絶対楽しいと思いますがね。だって、フレンドリーなことは「いいこと」でしょう?」と言われたりしたら、どうでしょう。 私なら、「それは君の価値観であって、私の価値観ではない」と言いたくなります。 それと同じことを、自分とは違う価値観の人にあてはめれば、 結果的に、世界は平和になると思います。 (もう一度念のため、日本の新興宗教は念頭においておりません^^;新興宗教の場合は「救われる個人もいるんなら、まあ、いいんじゃない?」といった感じの考えです(笑))

midi_x
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 善悪の基準はない・・・とはわかっているのですが、宗教やらなんやらいろいろと考えていると頭がショートしそうです。気にしなければいいのに、それで困っている人がいるとなると、ほうってはおけない問題だと思ってしまうのです。とても参考になりました。ありがとうございました。

  • casin
  • ベストアンサー率25% (71/276)
回答No.11

うー、難しいテーマですが回答してしまいました。 私は、宗教を信じない派というか否定派です。宗教で幸せになった人より、犠牲になって死んでいった人の方がはるかに多いと思うからです。なんのための宗教か?そう言う意味では、現代日本人にうまれてよかったと思います。

midi_x
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 完全否定はしないのですが、やはり犠牲になる人が多いこと良くないことですね。参考になりました。

  • Komiker
  • ベストアンサー率16% (83/518)
回答No.10

>宗教は確実に人を幸せにしているのでしょうか?  これは「 幸せ 」をどのようなものとするかにより異ってくるもので、お答えし難い設問ですね。  宗教とひとくちに言ってもいろいろなものがありますが、そのいずれもが、その時代環境から半ば必然的に生じたものでしょう。その意味では「 オウム 」その他も同様と言えます。  全て宗教そのものには良いも悪いも無いでしょうが、それを「 絶対とする 」人間の考えかた行きかたがさまざまな現象を産んでいる、という観かたはどうでしょうか。 >もし宗教がなくなったとしたら世の中はどう変わるのでしょうか?  これはあまりにも現実性が乏しいですね。(^o^)  これからも、宗教、あるいは宗教めいたものは無くなることはないでしょう。人間の観念が作り出すものである以上、人間の脳構造がその方向に変化しない限りはその可能性は「 全く無い 」と言えます。  宗教絡みのさまざまな事件、現象は、「 宗教が有るから 」ではありません。それを名目にする人間の考えかた行きかたが引き起こすものであること、この辺をあなた自身でお確かめになってはどうでしょうか。(^^)/

midi_x
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 とても参考になりました。やはり、宗教ではなく、人間の問題なんですね。ということは、このような問題をなくすために、人間が努力すればよい。ということでしょうか。

  • blueseman
  • ベストアンサー率35% (61/170)
回答No.9

いつも京都に行って思うのですが、何百年も前には人間は今よりずーっと少なかったはずなのに、こんなに沢山のお寺、それも滅茶苦茶立派なお寺が建てられ、維持されていて今まで続いているのは、何故だろうと不思議に思います。 今と社会情勢が違いすぎると言ってしまえば、それまでですが、時の権力者は常に何らかの形で宗教と関わっていましたし、それだけ人間が生きて行く上で、なくてはならない物なのだろうと思います。 原始時代や未開社会にもシャーマニズムの様な土着宗教はありますし、無宗教と言う人も心のどこかで神仏に頼っている所があるのではないでしょうか? 結論として、恐らく人間は意識を獲得し、本能のみで生きられなくなった時点から、自分の弱さ、脆さを自覚してしまったため、なぜ生きているのか等々何らかの説明や死後の世界の解釈なしには生きていけなくなったのだと思います。 子供の頃は両親が「自分を導く絶対的、全能的存在」として神の代替物足りえます。しかし、この時期を過ぎると、不安を充足させるため、文句なしに自分を認め、導いてくれる物=神・宗教を求めざるを得ないのではないかと思います。 質問者様の疑問とずれた書き込みで申し訳ありません。

midi_x
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 疑問とはずれていますが、宗教についての考え方を深めることができたので良かったです。ありがとうございました。

  • takkn
  • ベストアンサー率26% (36/135)
回答No.8

宗教はこれまでの長い人類の歴史において、道徳や倫理教育に役立ってきたんでしょうが、これからはこれらの教育は心理学をベースとした道徳、倫理教育が行われるようになるべきだと考えています。 宗教で教えられているようなことは、多少、不思議なこと、奇跡と言われるようなことであっても、心理学等で裏付け、説明できることがほとんどです。しかし、昔の人に深層心理、無意識、潜在意識の力がどうだとか、その力が云々と言ってもわからなかったので、方便として神仏の存在で説明してきたのだと思います。「神はあなたの中にいる」って言いますよね。 質問者の方も書いておられるとおり、この方便による弊害が、カルト教団や自爆テロ、宗教戦争などになって大きくなる一方のようです。 まともな宗教も団体になることにより、その団体を維持するためにお金が必要になり歪み始めます。 心理学を義務教育で教えるようにすれば、へんな宗教にひっかかる人も減ると思うのですが。

midi_x
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >これからはこれらの教育は心理学をベースとした道徳、倫理教育が行われるようになるべきだと考えています。 なるほどと思いました。 今後、宗教がよりよくなることを、期待します。

  • yow
  • ベストアンサー率23% (181/782)
回答No.7

私としては、宗教というのは、人間としての正しい生き方をする、学ぶための一つの方法論だとおもいます。たとえば、学問を身に付けるために、ひたすら独学で本を読む人もいれば、家庭教師をつける人もいれば、学校に通う人もいれば、同じ関心のある人同士でグループ学習する人もいるでしょう。どれもがよしあしがありますね。人にあうあわないもありますし。 それほど多くの宗教を知っているわけではないですが、だいたいどの宗教でも共通する部分というのは、良い行いをする。悪い行いをしない。自分を高める。の三つではないかと思います。どの宗教でもいろいろな儀式などあるかとおもいますが、つきつめればその三つを達成させるためにあるのだと思います。 たとえば、子供を育てる過程で、『ごはんの前に手を洗う』というのを教えますが、これはごはんの前に手を洗うということが大切なのではなく、自分の体を大事にする、ということを最終的に教えるためです。形からはいって、習慣になって、それからその背後に潜む理由を考えて、、、ようやく身につくものです。たとえその背後に潜む理由を理解するにいたらなかったとしても、自分の体を大事にする、という行為は達成できるようになるわけです。 宗教のもう一つの側面に、関心(信仰)を同じくするもののコミュニティというのがあります。欧米が核家族でも機能してきたのは、教会というコミュニティのもとで助け合いが行われるからだと思います。 神はいると思いますが、あくまでも宗教は人間が運営しているものですから、神の言葉を都合よくまげたり解釈してきているのも事実です。ただ、神の御心のとおりに正しく生きていこう。。。と漠然と思ったところで、指針がなければなかなかむずかしいものです。できる人もたくさんいますが。だから教会へいって祈ったり、経を読んだり、コーランをとなえたり、、、といったわかりやすいところからとっついていくのではないでしょうか。 まとまりのない文章で申し訳ありません。

midi_x
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 とても参考になりました。いろいろな回答やアドバイスを読んできて、大体の意味がわかってきました。が、宗教って奥が深いですね・・・ まとまりのない文章だなんて、そんなことありませんよ。自分の文のほうがもっと滅茶苦茶です・・・

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