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北条宗時 大河
大河ドラマで北条宗時が単独行動して暗殺されていましたが、 あれは観音様を取りに行くと称して一行を離れましたが本当は何しに行ったのでしょうか? (ドラマ内のお話についてです)
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- notnot
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工藤茂光と北条館で落ち合う約束をしていたので、一旦家に帰る事にしていたのは確実ですが、Googleマップで徒歩の時間を見てみると現代の道路を歩いても10時間前後かかります。 ということで、あの状況では家に戻るの現実的でないので、脚本的には単独行動の理由が欲しかっただけではないかと思います。つまりその先は考えてない。 前作?の「草燃える」では、三浦に向かったことになってますね。途中で伊東の(ドラマオリジナルの)息子ら十数人に囲まれて死亡。
- eroero4649
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史実では、石橋山の戦いに敗れた一行はそれぞれ別々に行動することになり、そういったなかで討たれたようです。観音様や暗殺者などの部分は三谷幸喜さんの創作ですね。 清く正しく大河風にするなら、敵勢に囲まれ立派に戦って死んだ、ということにするのでしょうが、今や大河といえど予算上限なしに派手にやることができない時代ですからね。バブルの頃だったら馬が沢山出てきたと思いますが。 「本当は何をしようと思ったのか」をわざと曖昧にさせたんじゃないかなと思います。「自分だけ降伏しようと思ったんじゃないか」とか「いや甲斐に逃れようとしたんだ」とか「様子を見に行ったのではないか」とか「家族に会おうと思ったんじゃないか」とか、そこらへんを視聴者に想像させる形にした、つまり三谷さん自身はあまり考えていなかったんじゃないかなと思います。
お礼
うーむ甲斐に支援を求めにくらいしか思い浮かびませんね。 三谷があえて書かなかった、確かにw ご回答ありがとうございました。
- fujic-1990
- ベストアンサー率55% (4505/8062)
自分でドキュメンタリー的な小説を書くなら、やはり「降伏」に行ったとすると思います。「トコトン頑張ってはみたが、やっぱりどうしようもないなぁ」ということで、「家名を残すため」に頼朝の居所を手土産に降参に行ったのだ、と。 しかし、それならドラマ内で「揺れる心」を描いて伏線とすべきだと思います。 劣勢は想定内なのにまったくブレないあのドラマ内の話ということであれば、やはり斥候として「周囲の様子を見に」行ったのだろうと思います。 史実ではあのあと、ほんの十数人で安房に逃れますので、道々の様子を見に海岸まで行こうとした、という流れになろうかと思います。
お礼
揺れる心どころか敢然と北条の世を作る夢を弟に語ってるので・・・うーんなかなか説明つきにくいですね。 ご回答ありがとうございます。
お礼
ご回答ありがとうございました。