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お酒と歴史(日本史)
ヤマタノオロチの伝説を読んでいて、「このお蛇さん、お酒で失敗したんだ。」などと笑いころげているうちに、そういえば、私も「お酒で失敗した」こともあるし、「大失敗しかけたこともあるなぁ」などとほろ苦い想い出にふけりながら、ふと、「お酒」が、日本の歴史を変えたなんてことはあったのだろうか???なんて……。 3点教えてください。どれか一つでも構いません。 1 日本史で、「お酒」が最初に登場するのは、何でしょうか???史実でなくても構いませんが、「おそらく史実じゃないかと思われる」というもので。 2 「お酒で失敗した。それが日本史を変えた。」という事例を教えてください。 3 同じ事件・事例になるかも知れませんが、「お酒をうまく利用した。それが日本史を変えた。」という事例を教えてください。
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- gunsin
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歴史は変えませんが、黒田藩家臣 母里太兵衛が福島正則から、 名槍日本号をせしめた逸話が黒田節となってます。
- pri_tama
- ベストアンサー率47% (678/1421)
実は、生物学者の一部には酒は人類の文明発生以前(というか人類の進化以前)から付き合いが有るとの説を提唱しています。 ⇒アルコール耐性が、人類に近しい類人猿の一部にある為、類人猿の一部も飲んでいる可能性を指摘している。 (雨水と蜂蜜が混ざって自然発生する蜂蜜酒や、糖度の高い果物が熟しすぎて木から落下して自然発生する果物酒を飲んでいる可能性を提唱している。) アルコールによる脳への刺激やリスクの高い地上へ降りる事に伴う危機からの安全への試行錯誤や酔う事への共有感が、餌の収集や外敵への対抗以上の仲間意識の向上やコミュニケーションの発達を導き人類への発展のトリガーとなった提唱する人が居るんですよね。 >「お酒で失敗した。それが日本史を変えた。」という事例を教えてください。 桶狭間の合戦で今川勢は、近隣の村からの酒で酒宴を開いている最中に織田勢の攻撃を受けて、今川義元は首を討たれてしまった例が有りました。 (夜襲は奇襲を受けた側が実は酒宴をやっていた例は、他にも有ったかと。) 今川勢も万全な体制だったら、義元を逃がすくらいは出来たと思いますし、あのタイミングで義元を討てなければ、信長はその後は無いので日本史の影響は大きいかと思います。 >3 同じ事件・事例になるかも知れませんが、「お酒をうまく利用した。それが日本史を変えた。」という事例を教えてください。 誰の逸話だったか思い出せないのですが、日露戦争の講和会議の時にロシアの外交官が日本人はこんな酒など飲めないだろ馬鹿にしてウォッカのグラスを突き出した時に、下戸だった外交官の一人がそのグラスを奪い取り、飲み干せたら講和案を譲歩しろよと言ってグラスの中身を飲み干して、講和案を譲歩させてた何て話が有ったように記憶しています。 (飲み干した外交官は、譲歩を念押しした後に卒倒したとか…。)
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ありがとうございました。 「保存しておいた果実の発酵」から、アルコールを取得したという話は読んだことがあります。酔っぱらって、木から落ちて、人類が誕生したのかも。笑 餌の収集や外敵への対抗以上の仲間意識の向上やコミュニケーションの発達を導き人類への発展のトリガーとなった提唱する人が居るんですよね。……ネアンデルタール人との違いということでしょうかねぇ??? >今川義元は首を討たれてしまった例が有りました。~~あのタイミングで義元を討てなければ、信長はその後は無いので日本史の影響は大きいかと思います。……たしかにそうかも。しかし、どうなんでしょうか???「時代の流れが信長を生んだ」と考えれば、別の信長が生まれていたかも。それにしても、義元も運の悪い人物ですね。人物以上に評価を落とされているような気がして。引き合いに出される事例は、ろくなことではない。 誰の逸話だったか思い出せないのですが、~~日露戦争の講和会議の時にロシアの外交官が日(飲み干した外交官は、譲歩を念押しした後に卒倒したとか…。)……あまり信用できそうもない話ですね。あるいは小村寿太郎ならやったかもしれないけど、卒倒しないと思うし、彼の逸話としては、講和会議に臨んで「息子の死まで覚悟をしていた」ということに、当時の政治家の姿勢を見たような印象が強く残っています。
- jkpawapuro
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お酒の失敗・・・まあ失敗なのかタイミング悪いだけなのかわかりませんが。 本能寺の変のとき三男織田信孝と丹羽長秀の四国遠征軍が堺で編成中であったにもかかわらず、家康の接待中であったために信長死亡の報で軍が四散してしまいました。 もしこの軍が健在であれば山崎の戦いの実質的な大将が信孝ということになるので、その後の織田崩壊は無く信考が天下人になっていたかもしれません。
お礼
ありがとうございました。 そうですか、四国遠征軍についての経緯はまったく知識にも記憶にもありませんでした。 その後の織田崩壊は無く信考が天下人になっていたかもしれません。……そうでしょうかねぇ??? 信孝って、時代の変化・時代の要請に応えられるような人物だったのでしょうか???
- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
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1. 紀元前1000年ほどの縄文式竪穴から酒坑と呼ばれる穴が発見されたそうです。 そこにはキイチゴなどの果実の断片があったそうです。 日本初のお酒は果実酒だったようですね。 記録に残る最古の日本の酒は西暦1世紀頃に成立した中国の思想書「論衡」に「周の成王の時代(紀元前1000年くらい)、(中略)倭人は鬯草(酒に漬けた薬草)を貢いだ」とあるようです。 日本国内の米からのお酒では『大隅国風土記』にある「口噛み酒」、『播磨国風土記』にある「麹酒」あたりが最古の記録だそうです。 ですが、それら書物が書かれる前に朝廷に「造酒司」「酒部」という部署が作られていました。 2. 直接のお酒の失敗ではありませんが、「鹿ヶ谷の陰謀」を思い出しました。 反平家の院近臣が集まり「瓶子」というお酒を入れる容器を倒して喜んでいたという話。 ただしでっち上げ説もあります。 その事件で都の反平家一派を一掃し、平清盛率いる平家はますます権力を強め、後白河法皇との関係がこじれていき、法王を幽閉した治承三年の政変→以仁王の挙兵→治承・寿永の乱(源平合戦)〜平家滅亡へと続いていきます。
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ありがとうございました。 日本初のお酒は果実酒だったようですね。……納得できますね。というより、人類最初のお酒も果実酒だったと想像します。 日本国内の米からのお酒では~~『大隅国風土記』にある「口噛み酒」、『播磨国風土記』にある「麹酒」あたりが最古の記録だそうです。 ですが、それら書物が書かれる前に朝廷に「造酒司」「酒部」という部署が作られていました。……『大隅国風土記』にある「口噛み酒」というのは、やはり焼酎ですかねぇ???笑 いや、さつまいもは、まだなかったか??? 「鹿ヶ谷の陰謀」を思い出しました。 反平家の院近臣が集まり「瓶子」というお酒を入れる容器を倒して喜んでいたという話。……密談に限らず、集まると「お酒」が必要になるんですね。男って。私は、一人で、ちびりちびりとやるのが好きですけど。笑
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34518)
1 「魏志倭人伝」に「倭人は酒を飲む」という記述はあるそうです。 また縄文時代の遺跡から酒が存在したことを示唆する跡が発見されていますが、「縄文時代にお酒があった」という証拠はありません。稲作が伝わったのが弥生時代になってですから、縄文時代にお酒があったとしても日本酒(コメを原料としたお酒)ではなさそうです。 古墳時代に「須恵器」という陶磁器が沢山作られましたが、その中には当然杯のようなものが発掘しています。でもそれでお酒を飲んだという証拠でもないですね。 平安時代にはお酒があったことは確実なようです。 2 うーん。さすがに「日本史を変えた」ってのはないんじゃない?酔っ払いの間違いひとつで歴史が変わるほど我が国の歴史はヤワじゃないと思いますけどね。 幕末土佐藩の藩主山内容堂は自ら「鯨海酔侯」と名乗るほどの大酒飲みで、その人物を評して「酔えば勤王、さめれば佐幕」と揶揄された言葉が残っています。「酒乱のお殿様」という家臣にとっては最悪のキャラクターでしたから、明治維新後は全く相手にされず、自分はもっと偉くなれると思ったのに見込みが完全に外れたので明治時代になってからはヤケ酒の毎日で、かつての家臣に諫められると「俺ァ酒で破産した最初の殿様になってやるんだ」と嫌がらせで政府からもらったお金を散財してたそうです。明治維新を成功させた薩長土肥のひとつの藩のお殿様ですから明治政府も無下に扱う訳にもいかなかったので手を焼いたそうです。 日本人はどうもお酒の飲み方がヘタなようで、戦国時代の宣教師の手紙にも「日本人は酒を楽しむのではなくて、酩酊するために酒を飲んでいるようだ。あと、酔うと行儀が悪いし無理矢理飲まそうとする」というのが残っているそうです。アルハラは400年前から変わらないようで。まー私も今から30年近く昔、先輩社員の前で一気飲みをさせられましたが。 ちなみに八岐大蛇の話は、山陰地方の8人の支配者をヤマト政権が倒して鉄器(天叢雲剣)を手に入れたことを示しているのではないか、という説がありますね。お酒云々は、もしかしたらヤマト政権が8人の王を宴会に招待して騙し討ちをして討ち取ったのかもしれません。
お礼
ありがとうございました。 「縄文時代にお酒があった」という証拠はありません。……文字がないんですから、「お酒があった」という証拠を探すのは、難しいでしょうね。 「酔えば勤王、さめれば佐幕」と揶揄された言葉が残っています。……なにかで読んだ記憶だけは残っています。 「酒乱のお殿様」という家臣にとっては最悪のキャラクターでしたから、~~手を焼いたそうです。……酒乱というのは、お殿様に限らず、現代でいえば、上司、部下に限らず、「嫌われる存在」なのだと思いますが、一昔前に比べると、少なくなったような気がします。みんなおとなしくなったのですかねぇ???しかし、「時代の変化についていけず」というのは、今日にもありそうな。気を付けなければ。 日本人はどうもお酒の飲み方がヘタなようで、戦国時代の宣教師の手紙にも「日本人は酒を楽しむのではなくて、酩酊するために酒を飲んでいるようだ。あと、酔うと行儀が悪いし無理矢理飲まそうとする」というのが残っているそうです。アルハラは400年前から変わらないようで。……外国人の酒の飲み方が上手かどうか知りませんが、「酒の力を借りて、何とかしよう」というのも、日本人にはあるような気がします。 まー私も今から30年近く昔、先輩社員の前で一気飲みをさせられましたが。……もう半世紀も前のことになりますが、初めてのコンパで。私も「飲まされた」ということにしておきます。笑 ちなみに八岐大蛇の話は、~~お酒云々は、もしかしたらヤマト政権が8人の王を宴会に招待して騙し討ちをして討ち取ったのかもしれません。……そうですか。「斐伊川」だという説もあるようですし、「鉄に関わる民」だという説をなにかで読んだ記憶があります。いずれにしても「鉄」がかかわっているのではないかと思っています。
お礼
ありがとうございました。 歌ったことはありませんが、幼少のころの記憶にあります。調べてみましたが、こんな逸話があったとは。