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憲法 統治行為論について
苫米地事件では純粋統治行為論で、砂川事件では一見明白付き統治行為論ですが違いがよく分かりません。一見明白付きとはどのような意味なのでしょうか?
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- fujic-1990
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質問者さんがどのような説明を期待していらっしゃるのかわかりませんが、「一見明白付き」とは、一見極めて明白な違憲行為があれば、裁判所も違憲判決を出すぞという警告です。 「一見極めて明白な違憲行為」とは具体的にどんな行為を指すのかと言えば、例えば日本政府が他国に宣戦布告したら、裁判所も「その布告は違憲だ」という判決を出すでしょう。 苫米地事件と砂川事件での「事例の違い」で言えば、・・・ 裁判は何かあってから後の争いの解決です。 苫米地事件で「解散は違憲だ」と判決すると、解散後に選ばれた「今の議員は違憲の議員」ということになります。違憲の議員で構成された議会は違憲の議会であり、違憲の議会で制定された法律は違憲です。 そんな違憲議員で組織された内閣も違憲。 かと言って、かつて正当に選ばれた議員たちは任期満了していて最早議員ではありません。 かくして、違憲判決をだすことは「裁判所が、憲法の定める国権の最高機関たる国会と内閣をぶっ潰す」ことになるわけです。憲法が定めた二権を裁判所が消す。それもまた憲法違反です。NHKをぶっ潰すのとは訳が違いますねぇ。 じゃ、どうするのか、というとどうしようもありません。裁判所には収拾できません。裁判所は違憲判決を出した結果(三権のうち二権が消える)に対しての責任が取れないのです。 なので責任回避のために、統治行為論を出して「違憲だ」と言うのを止めざるを得ないのです。 それに対して砂川事件では、違憲判決を出しても憲法の定める2権を破壊することにはなりません。三権の内の(裁判所以外の)二権も残るのだから、違憲判決の尻拭いは憲法に定めてある通り、行政がやればいい、という事例なのです。 なので、「今回は違憲だと判断しないが、目に余る時行為をした時は違憲判決を出すぞ」と内閣を牽制したわけです。