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外国史の問題です。早めに回答お願いします。

正誤で回答お願いします。 第一次世界大戦という未曾有の大戦争とその惨禍を目のあたりにして、国際社会には平和を求める機運が高まった。それをうけて、パリ講和会議において、国際紛争を調停する史上初の常設国際機関である国際連盟が設立され、1920年に発足した。しかし、提唱者の米国は孤立主義的な議会の反対で加盟できず、敗戦国ドイツは1926年まで、ソ連も1934年まで加盟できなかったので、国際連盟の国際社会への影響力は第二次世界大戦後に設立された国際連合に比べると弱かった。 正 誤 国際協調と軍縮ムードが社会を覆っていた1920年代には、軍人の社会的地位は低落した。シベリア出兵の失敗や歳出の半分をも占める巨額の軍事費のための重税に苦しんできた国民の、軍と軍人に向けるまなざしも冷たくなった。学校に送られた中高年の配属将校は生徒たちにバカにされ、電車のなかでは軍人の大外套とブーツにつけた拍車が邪魔だと邪険にされた。もはや軍服で街を歩くこと自体、はばかれるような雰囲気であった。このような冷遇に対する軍人たちの不満と怨念は、1930年代以降の軍人の暴走の一因となった。 正 誤 右翼からの社会改革思想、つまり国家主義的革新運動の理論的指導者だった北一輝は、『日本改造法案大綱』のなかで、クーデタと戒厳令によって政権を掌握した後、言論の自由と基本的人権を停止し、投票権を富裕層に限定し、私有財産と私企業の活動を保護して規制を撤廃、経済活動を自由化すること、労働者の団結権を停止し、労働運動と社会主義を禁止すること、寄生地主を保護し、小作争議を禁止すること、オーストラリアとシベリアを植民地とすることなどを提案している。 正 誤 この法の目的は当初「国体(天皇制)の変革または私有財産制の否定」を目的とする結社の取締とされており、共産党をはじめとする社会主義運動をおもなターゲットとしていたが、共産党が壊滅した後には次々と拡大解釈・適用されるようになり、政府に批判的な学問研究・ジャーナリズム・評論などが弾圧され、さらに、大本教(皇道大本教)・天理教(天理本道教)などの新興宗教、仏教やキリスト教の団体も弾圧の対象となった。つまり、治安維持法は、大日本帝国において、ありとあらゆる反政府的な思想・言論・運動を弾圧する道具として利用され、絶大な威力を発揮した法であった。 正 誤 1925年7月、第一次国共合作のもと、蒋介石と毛沢東をを司令官とする国民革命軍は北伐を開始し、軍閥軍を各地で撃破して進撃を続け、1927年7月には武漢に国民政府を樹立した。北伐の成功の背景には、共産党と同盟したことによる民衆の支持と各地の農民運動があった。上海などの大都市でおきた労働者のストライキと農村の農民運動のエネルギーを、共産党を通じて北伐に利用することができたからである。 正 誤

みんなの回答

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11082/34531)
回答No.1

どの問題も「それはいえてるね」と思える内容ですね。よくできてると思います。それにどう答えるかで授業を聞いてるか聞いてないかが分かるようになっています。 つまり我々の回答を基にして答えても質問者さんが授業を聞いてないことはバレるようになっています。敵もさるもの引っ搔くものですな。

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