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子供を対象とした教育現場の仕事って遣り甲斐ありますか?。
子供がかわいくてしょうがありません。 自分の小学生の頃を思い出すと、嫌な事や人間関係のトラブルも今より少なかったし、先生や大人も笑顔を絶やす事が無く、それ以上に楽しめる事が多くかったと思います。 そこで、実際に子供を対象とした教育現場でのお仕事をされている方の労働においての感想をお聞きしたいんです。学級崩壊などの問題もたまに耳にしますが、基本的に遣り甲斐がある職場だと私は勝手に想像してしまうんですが、実際はどうなんでしょうか?。
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小学校と、中学校を見てきましたが、やりがいを感じる暇がないというのが本音です。 小学校では、学級崩壊を見てきました。 そのクラスでは、一人として幸せな人はいないのです。暴れる子は家で親から愛情をもらえない、周りの子は汚い言葉の中にいるのが普通になり、無関心に育ってしまう。担任の先生はどれだけ愛情を注いでも親には勝てないのです。 暴れる子が1時間いすに座っていることができた、素直に「はい」と言えた、「ごめんなさい」が言えた、ほかの子に殴りかからなかった……。喜びはつきません。 でも、親が家で「邪魔」と言えば学校で暴れるのです。1歩進んだものが100歩後退して教室に戻ってくる日々でした。 2校目の中学校では、そんな小学生のような子もいます。 普通、中学生になれば生徒の意識の対象は親から友達に変わっていくものです。 しかし、小学生から成長できない子もいて、前日の親の機嫌で学校での様子が変わる子も何人かいます。 きっと、このまま子供のまま体だけ大きくなるのだろうと思うとつらくなります。 しかし、そんな親ほど家庭内のことには口出しを拒みます。 そんな日々にやりがいを感じる瞬間もありません。 かわいいです。子供はかわいいです。 でも、忙しいのです。報道でも子供の何割かはゆとり教育になって、逆にゆとりがなくなったと考えているといっていましたが、教師もゆとりがないんです。 子供と話したり、ふれあう時間がほしいのです。でも、休み時間は教室の移動、放課後は部活、部活が終われば不審者が出る前に帰さないと責任問題です。 いつ子供と接する時間があるのか尋ねても、校長先生もあやふやに話題をそらします。 本当はやりがいのある職場だと思います。 何をしていてもうれしいことばっかりです。 特に子供が小さければ、本当に些細なこと、服を一人で着れた、靴を履けた、ひらがなが書けた、大人なら当然できることでもうれしいのです。大きな一歩ですから。 でも、残念ながら、今の学校現場では「よかったね」を言おうと思った瞬間に別の子の泣き声が聞こえるというのが実情だと思います。 大変厳しいことを書くようですが、本気で子供が好きなら、やりがいなんていらないんじゃないでしょうか。
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- overtone
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「教育」は とても 大切で大変なことだと考えています。そのこどもの一生が決まるからです。(「学歴」と言う意味合いではありません。) ですので、とてもやりがいがあるともいます。 また、こどもだけの相手では仕事はできないです。 教員同士や保護者ともコミュニケーションが必要でしょう。 また、成果が目に見えるものでもありません。(合格率などではかるものではないと思います。) こどもが好きなのは 大前提と思いますが、こどもが好きなだけでは できない すばらしい職業であって欲しいと保護者として考えます。 (学級崩壊もそれを解決することで 遣り甲斐があるのでは?) ============================== 私は すでに オヤジですが、大学生当時も同じように考えていて「片手間に教職課程」をとるのは やめました。 電車の中などで子供の泣き声などで 嫌な顔をする人が多いですが、「こどもの声が聞けてラッキー」くらいに思えないでしょうかねぇ。 こども好きは 動物として、必要な条件くらいのものと思います。
- lindenbaum
- ベストアンサー率47% (32/68)
こんにちは。 かつて学習塾で講師をしていたことがあります。小・中学生を対象に、クラス授業と個人指導を経験しました。学習塾ということで、当初は現代の歪んだ偏差値教育の片棒を担いでいるような、どこかそんな気持ちもあったのですが(笑)、子どもたちと接していくうちに、そういう感情にあまり囚われなくなりました。 というのも、その年ごろの子どもにとっては、やはり「家庭」と「学校」が世界の大半で、にもかかわらず、その両方とうまくコミットできず苦しんでいる生徒というのが、割と多かったんですね。何らかの事情があって家庭が機能していなかったり、学校でも自分の居場所を見つけられなかったり……。そんな中、もし受け持ちの授業だけをして、生徒たちの成績を上げるだけだったなら、私自身、あまりやりがいは感じなかったかもしれません。でも、そういう子供たちとのさまざまなやりとりを通じて、自分の経験から何か少しでも彼らの力になれた時、本当に嬉しかったです。 oremoteruさんが具体的にどのような教育現場に関心を持っていらっしゃるかによっても、状況は大きく違ってくるかとは思いますが、およそ子どもに関わる仕事としての根本に大差はないだろうと思います。綺麗ごとを言うつもりはありませんが、教育は本来、心と心のつながりによる信頼関係が全てで、どういう関わり方をとるかは方便に過ぎないのではないかと考えています。 また、私個人としては、教えることよりも子どもたちから教わる事の方がずっと多かったような気がしています。
お礼
>心と心のつながりによる信頼関係が全て 同感です。 生徒によって求める物が違うのも確かですが、この理念が一番必要だと私も感じております。 >そういう子供たちとのさまざまなやりとりを通じて、自分の経験から何か少しでも彼らの力になれた時、本当に嬉しかったです。 こういう情熱的な教育者の方が増える事を願っております。lindenbaumさんは遣り甲斐を見つけられた方のようですね。私もそういう場所を得られたらと思います。
- NANDACORYA
- ベストアンサー率22% (83/367)
私は教育現場ではありませんが,未成年者を指導する仕事をしている者です。子供はどんな子でもかわいい面を持っていることは否定はしません。ですが… 一度学校へ行って,現在の学校がどのような状況にあるのかを知ってから考えても遅くはないと思います。 地域の学校であれば,授業参観を申し込めば受け付けていただけるところもあるかもしれません。でも,それは表舞台だけです。裏舞台を知るとはたしてどうかと考えざるを得ないかもしれません。 私は両親が教員でしたから,入学式,卒業式,授業参観日など,一度もきてもらったことはありませんでした。親の仕事場である学校も同じ日にやっているんだから仕方ないと割り切っていましたが… さらには,夜遅くまで,場合によっては明け方までかけて,授業の準備をしたり,テストの採点をしたりしている親の姿を見て育ってきました。 また,問題を起こした生徒がいたりすれば,徹夜でそれに対処したり… そんな両親を誇りに思っていますが,過酷な労働の割には社会からあまりよい評価を得られない(社会の期待が大きすぎる?あるいは一部の不心得者のせいで…)のも事実です。 ある程度家族の犠牲も覚悟された方がいいでしょう。 遣り甲斐があるととるか,過酷な労働ととるかは,個々の能力の問題もありますから… その上で,是非というのであれば,粉骨砕身していただくことは大歓迎です。
お礼
大変ですね~。 確かに「教師」という仕事の範囲はその場面によって変わる大変な仕事ですよね。プライベートと仕事の枠が分けられないのも辛いとこですね。 やはり本当に「教育」というものに情熱が無いと続けられない仕事でしょうね。それが無い人が不祥事を起こしているんでしょう。
お礼
実際の教育現場の生々しい声を聞く事が出来て非常にありがたいです。 やはり教育者は忙しいんですね。 生活自体を拘束されるような激務だと思います。 学級崩壊の話を聞いて、自分がその状況になっても子供が好きでいられるか不安になりました。 このお話を聞いて、また自分の中でいろいろ考えたいと思っています