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【日本史】『乙巳の変』について
【日本史】『乙巳の変』についての質問です。 蘇我氏の最大の敗因は何だったのでしょうか?
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倅の蘇我入鹿が殺されたと言え、現存たる実力が有ったのに、 乙巳の変の翌日に蘇我蝦夷が屋敷に火を放ち自害したと日本書紀に 記されてるだけで、残った蘇我一族の事は、殆ど記載されてません。勝者が歴史を作るが、ここにも顔を覗かせます。 力を持っていた蘇我蝦夷が何故、自害に追い込まれたのか、 今となっては推測すら出来ない状態ですので、本当の事は 解らないのが実情です。 乙巳の変の後、大化の改新が始まりましたが、作家の松本清張 に依れば、蘇我氏が推し進めていた改革のパクリと言ってます。 説得力の有る、発言ですね。
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- oska2
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回答No.1
>蘇我氏の最大の敗因は何だったのでしょうか? 百済の王子・豊璋(中臣鎌足)に、注意をはらわなかった事ですかね。 当時のアジア情勢は、百済が新羅に滅ぼされる危機でしたよね。 蘇我氏としては、今まで通り「全方位外交」を行って「特定の国の味方はしない方針」でした。 が、鎌足は「百済救援軍を派遣する条件で、中大兄皇子を大王にする事」を約束しました。 国際情勢に疎い中大兄皇子は、まんまと口車に乗って軍を派遣。 蘇我氏が予想した通り、新羅・唐連合軍に敗北をきします。 結果として、蘇我氏に代わって鎌足の子孫である藤原氏が歴代政権を握ります。 まぁ、現実を見ないで「理想論ばかり主張する政治」は滅ぶのです。 今も昔も、変わっていませんね。^^;