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なぜ私の解答は間違っているのか?
- 「ひと夏をかけて作り上げた作品が審査員にどう映っているのかを早く知りたかったから。」と答えましたが、解答は「自分の脚本による劇がどう評価されているのか、少しでも知りたかったから。」となっていました。なぜ私のものが間違っているのか、解答のものが正しいのかが分かりません。
- 質問の答えには複数の解釈がある場合、正解は解答者の意図によって異なることがあります。自分の解答がなぜ間違っていたのかを理解するためには、解答者の意図や脚本の内容についてより深く考える必要があります。
- また、他の人々の解答を参考にすることも助けになるかもしれません。他の人々の視点を知ることで、自分の解答がどのように受け取られるかを理解することができます。質問に対する解答は一意ではなく、異なる解釈が存在することを認識することも大切です。
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質問者が選んだベストアンサー
文章全体の流れを見る限り、 審査員は観客とは違う視点だという事が前提になってます。 何が違うかと言うと、 観客は劇を(間口から)観て全体的な出来映えを判断します。 それこそが「ひと夏かけた作品」の評価となります。 審査員は、作品の出来映えから出演者だけでなく、劇に仕立て上げた「脚本」と演出も含めた(奥行きのある)評価を下します。 その違いの部分を確認する事で自分の仕事に対する評価を知ることができると思ったのでしょう。 …それが行動の理由と判断できます。 これは文章を精査しなければ見えて来ない事であり、解答の事後比較で判断できる事ではありません。(質問者さんの先回答に対する指摘は当たってません。) 文章は審査員の居眠りに愕然とさせられた思いを示しています。 観客が居眠りしても愕然とはならないでしょう。 審査員が評価するのは観客とは違う視点だと知っていたからこその事だと言えます。 …その視点の違いこそが劇の裏に存在する脚本、演出の部分ではないでしょうか。 「作品がどう映っているか」が間違いだとは言ってません。 「審査員ならではの視点」を探ろうと敢えて移動した理由が解答に求められています。 観客は作品全体の表面的な出来映えを評価するが、 審査員は作品の裏に在る脚本と演出「も」評価の対象とする。 その違いを知る筆者だからこその「観客席ではなく審査員席」まで移動した理由を、出題者は出して欲しかったのでしょう。 ここでは「観客席でも通用する」ものは正解とはならない筈です。 あくまでも「審査員席でなければならなかった」ものが理由とされます。 先質問から一貫して答えているとおり、 出題者が用意した正解と一致させる必要がある設問です。 出題者は筆者が脚本と演出を担当した事に重点を置き、『「劇」そのものの評価が行動時の目的ではなかった』という事を言いたかったのでしょう。 言い方を変えるなら、 「総論(劇)評価ではなく各論(脚本)評価の確認」が移動理由との解釈が欲しかったのでしょう。 「なぜ間違いなのか?」と問われても、「誰も間違いとは言ってない」としか答えようが無いかと思います。 論点は出題者が用意した正解が前提であり、 それを探る為にも文章全体を精査して、出題意図に一致する答を導き出さなければ正解とはならない。 …そこに尽きるかと思います。
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- fujic-1990
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> 「ひと夏をかけて作り上げた作品が審査員にどう映っているのかを早く > 知りたかったから。」 使用された言葉、文理などを細かに検討・指摘していると時間がかかってしようがありませんので、一般的、常識的面から考えさせてもらいます。 ひと夏かけようが10年掛けようが、駄作は駄作です。長い期間をかけるほど、その人は「無能」という証拠です。逆に1日で書いても面白い作品は面白いと私は思います。 つまり、「制作にかけた日月の数なんて作品の良否とは関係なくて、どうでもいいことだ」と私は思うのですが、質問者さんは1日で書いた作品よりひと夏かけた作品を高く評価すべきだと思われますか? また、脚本がシェイクスピアの戯曲の中の一場面で、顧問の先生が演出したのだったら、著者は「あのような行動」を採ったと思いますか? その場合、著者は劇の審査会場にさえ「行かなかった」んじゃないか、と私は思います。仮に会場へ行ったとしても、あのような審査委員を審査するような(一見無礼な)行動はしなかっただろうと思います。 つまり、著者にとって大切なのは、「ひと夏かけた」ことではなく、演じられた劇の「脚本演出したのが自分」だ、ということが大切なんだろうと(常識的に)推測できるわけです。 文中に、「そうではない」と、例えば「脚本演出に1週間しか掛けなかったらあのような行動はしなかったのに」とか、「私は誰の脚本演出でも、劇を見ると審査員の行動を監視したくなるんだ」、とか思わせるものが書かれているなら、上記の推測は成立しないと思います。 サラッとですが、斜め読みした感じではそのような記載はないと思いますので、常識に基づいた推測通り「自分の脚本・演出(の結果の劇)がどう評価されているのか」を知りたかった、と考えるべきなんだろうと思います。 そちらのほうが優先順位は高いので、文字数に制限がある本問では「ひと夏の…」などは書かず「自分の…」と書くべきだんだろうと思います。
お礼
常識的に考えることも必要なのですね。そのようなこともこれから考えて解答していきたいと思います。ありがとうございました。
- g27anato
- ベストアンサー率29% (1166/3945)
設問の「出題意図」は、 「場面」に関連する「語句」を見つけ出す事です。 場面 ・「動かずにいられなかった」 ・「どう観ているのだろうか」 関連する語句 前文 ・「下級生は、よくやってくれた」 後文 ・「寝ている」 ・「一年生や二年生にすまない」 ・「私は、奪ってしまった」 ・「当事者である私」 ・「決めつけていたのではないか」 「よくやってくれた」 …作品の出来に不満の無い事がわかる。 「当事者である私」 …気がかりは自分、つまり脚本と演出だった。 「寝ている」 「決めつけていた」 …審査員の真実を見てしまった結果、 「すまない」 「奪ってしまった」 …筆者の思いに繋がっている。 「場面」と「関連する語句」を総括してみると、 …筆者の行動は、下級生に不満の無い「作品」そのものよりも、 自身の「脚本、演出」に対する評価に関心が向いていた。 出題者の意図は、そのような捉え方を求めていたと思われます。 …全てが一致する事は無い事例なので、文章と設問の一致点を見つけ出すのが非常に難しい設問でした。
補足
解答を見れば、そう考えることはできるのですが、解答を見る前だと出来ません。もし解答に、「ひと夏をかけた作品だから」とあれば、解説もg27anatoさんの「自分の脚本だから」の方の解説を「ひと夏をかけた作品だから」バージョンに少し変えればそれも合っているように考えられると思います。 「自分の脚本だから」と書けるかどうかはやはり運なのではないかと思ってしまいます。
お礼
g27anatoさんの回答を見て深く納得することができました。このような解説が実際の問題の解説にもほしいです、、笑 審査員が脚本も評価していることを踏まえて解答しないといけないのですね。ありがとうございました。