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ほんとに悲しい人魚姫

人魚姫はなぜ王子様を殺さなかったのですか。殺せば元の人魚に戻れて家族のもとに帰れたのに。やはり人魚姫は結婚できないと分かった後でも王子様を愛していたからですか。愛する人をぐさりと刺せるわけないですからね。それにほんとに殺したとしても元のように夢見る少女には戻れないのはわかっていた。そんな理由からでしょうか。当方は子供の頃あの物語悲しすぎて途中で読むのやめたくらいです。

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回答No.2

はい……。 相当な、悲恋ですよね…。 悲しいというより、やるせなさが強烈です…。 鈍感?な、王子が腹立たしい。 作者は、子供に何を伝えたかったのか… やはり“愛の形”でしょうか…。 おっしゃる通り、愛していたが故に…。 自分は、人間ではないし、足を貰った代わりに失った声、話す事が出来ないという事は、王子に重荷かと思ったのでは…。 普通の人間の女性の王女様の方が、自分と居るよりも幸せになれるに違いないと、己をわきまえたのかな…と、思います。 愛する王子の幸せを願う… 愛する人の幸せを願う… それが、人間の愛の真髄なのでしょう。 童話なのに、ため息が出る…。 好きな童話かと聞かれたら、好きではないですね…。 絶対に忘れられず、印象だけは強烈ですが…。

katakana1956
質問者

お礼

ご回答を読んで悲しい気持ちがよみがえりました。「好きな童話かと聞かれたら、好きではないですね…。絶対に忘れられず、印象だけは強烈ですが…。」まさしくそういう物語です。繰り返し読んで味わう、というより一度でも読むと一生涯忘れられず深く心に刻まれる、そういう物語です。ご回答ありがとうございました。

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  • staratras
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回答No.3

それはもちろん「王子様を深く愛していたから」でしょうね。 まったく国も時代も背景も違いますが、私は人魚姫が王子様を殺せなかった物語の終わりから日本書紀・古事記の物語に登場する「サホヒメ」「サホビメノミコト」が天皇を刺し殺そうとするが果たせなかったという有名な場面を連想します。二つの物語には、深刻な事情があって愛する人(人魚姫は王子様、サホヒメは夫である垂仁天皇)が寝ているところを年長のきょうだいからもらった刃物で殺そうとするが、殺せずに自分の死を選ぶという共通点があります。 ただ大きく違うのは、サホヒメは天皇の后で兄に謀反をそそのかされ、兄と夫とどちらを選ぶかの板挟みになっていたという点です。天皇を殺せなかったサホヒメは、サホヒメが流した涙で目を覚ました天皇にすべてを打ち明けます。サホヒメは最終的には反乱を起こした兄ともに死んでしまいますが、天皇はそれでも「その兄を怨みつれども、なほその后を愛(うつく)しむに得忍びず」と言っています。 どちらも悲劇ですが、愛する人に最後まで理解してもらえなかったという点では人魚姫の絶望の方が深いかもしれません。人魚と人間という全く別の世界に生きているものは、片方が他方を一方的に愛することはできても、お互いに愛し合うことは不可能であるというメッセージだとすれば、まさに「ほんとに悲しい人魚姫」です。

katakana1956
質問者

お礼

日本の古典にも同じように物語があったのですか。しかも古事記日本書紀に。物語の世界とはいえ悲しい物語は古今東西問わずあるんですね。いや物語の世界に限らないかもしれません。ただそれに気づかないだけで・・・。ご回答ありがとうございました。

  • okvaio
  • ベストアンサー率26% (2005/7699)
回答No.1

童話とか昔話をよくよく見ると、結構残酷なことが書いてあります。 子供達に夢を与えるものだと私も思っていましたが、そうではない ものが結構あるような気がいたします。 意外と、大人向けかもしれませんね・・・笑

katakana1956
質問者

お礼

 そうです。イソップの話は当方好きでした。人魚姫はやはの悲しすぎますよ。アンデルセンに限らず童話とはいえ人間の本質に迫るものが多いです。裸の王様もそうですがこれは軽妙さがあって強い感情は込められていないです。イソップもそうです。  ご回答ありがとうございました。  

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