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ひれ伏すと言う事

水戸黄門や暴れん坊将軍を見た時のちょっとした疑問です。 相手が光圀や吉宗と分かったとたんに「ハハ~」とひれ伏します。印籠を出すのはフィクションと聞いてます。ソレは別として実際のところどんな感じだったのでしょうか?相手の身分が高いと言って土下座の感じで額を地面につけるようなものなのでしょうか?大名行列も実際には「下に~下に」は無かったとは聞くし、庶民も「また大名行列だよ」だったのが実際だとも。 よろしくお願いいたします。

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  • ベストアンサー
  • nijjin
  • ベストアンサー率27% (4811/17774)
回答No.1

実際にはTVのような諸国漫遊の旅はありませんでした・・・ が真実です。 そもそも、あんな勧善懲悪なことはしなかったでしょうから印籠を出してひれ伏すなんてことは無かったという事ですね。 当時は副将軍という役職も無かったしあの辺の一連は水戸黄門という時代劇の演出だと思います。 実際、印籠は薬入れなどの役目で持っていたもののようですしね。

noname#254637
質問者

お礼

ありがとうございました。

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  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率64% (1056/1648)
回答No.2

将軍家と御三家の行列に限っては「下に~下に」の掛け声があり、庶民は土下座しなければならかなかったようです。 江戸時代Campus「大名行列と町民の土下座」 http://www.edojidai.info/jidaigeki/daimyougyouretu.html 将軍の日光社参に際しては、沿道の庶民に対してお触れが出され、社参行列を迎える際には、家では女性・子供は軒下、男性は土間で平伏、道端では並木より5~6間下がって女性を前に男性を後にして土下座するように、などと詳細に指示されていたそうです。 宇都宮城の歴史①「日光社参と宇都宮城」 https://utsunomiya-8story.jp/wordpress/wp-content/themes/utsunomiya/image/archive/contents08/pdf_09.pdf 儀式の場などで将軍に一対一で謁見し新年のお祝いなどをさせてもらえるのは家格の高いごく一部の大名だけ。一般の大名や旗本は平伏したままで将軍の姿を見ることもできなかったようです。庶民はもちろん、一般の大名家の家老や天領の代官などが平伏するのは、ごく自然な行動では? 大江戸散歩を楽しむ会「江戸城表・大広間・控之間・松之廊下」 https://wako226.exblog.jp/16483689/

noname#254637
質問者

お礼

ありがとうございました。

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