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水戸黄門
水戸の黄門様は何者ですか? 印籠を出す場面で「こちらにおわすお方をどなたと心得る。恐れ多くも**の副将軍、水戸の***にあらせあえるぞ。」と助さんだか格さんがいいますよね。 ということは、副将軍だから江戸時代のNo2ですか? あと**の部分はなんと言っているのですか? それと徳川家の人間ですか?
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徳川光圀は、第二代水戸藩主です。 水戸藩は徳川御三家の一つです。 **のところは、「水戸光圀公にあらせおられるぞ」です。
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- yamadayouichirou
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「前(さき)の副将軍、水戸の光圀公にあらせられるぞ。」 漢字は「前(さき)」です。「先(さき)」は誤りです。 今の副将軍ではなく、前の副将軍です。(前のNo.2) 徳川家康の孫です。
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回答ありがとうございます。 前の副将軍なんですね。 参考になりました。
- rintanhanahana
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最初の※※ さきの副将軍 次の※※ 水戸の光圀公(みつくにと読みます) そもそも徳川幕府には正式な官職としての副将軍という役職はありません。 大日本史だったかな。そんな本を編纂するにあたって、水戸藩士が諸国を漫遊したのが明治時代とかになって、おもしろおかしく誇張されできあがったのが水戸黄門なのです。ちなみに黄門っていうのは、中納言の中国での呼び名みたいです。 NO.2はそのときどきの時勢にもよりますが老中筆頭ではないかと・・・・。(No,1だったりもしますが) 徳川家の人間ですか・・・。 れっきとした徳川一族です。 正確には、徳川家康の11男、頼房の3男です。 もちろん御三家(紀州・尾張・水戸)ですからそれなりの権限はあったのでしょう・・・。
お礼
回答ありがとうございます。 明治時代に誇張されて書かれたってことは、うっかりハチベェはしっかり者だったんですかね? 家康の11男、頼房の3男?????? どっちの子供????
お礼
回答ありがとうございます。 参考になりました。 水戸光圀公の公って幕府の人(公の人)ってことなんですかねぇ。