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和平工作はしていましたか?

大東亜戦争の後半には、日本国内の上層部の和平派により東條英機を暗殺し、東條内閣を倒壊する計画があったそうですが、自然に東條内閣が倒れたので計画は未遂に終わったそうです。 しかしながら東條内閣が倒壊したその後も、戦争は継続していたのですが、その間にも和平派はなにか和平工作をしていたのでしょうか? 昔[D機関]という映画では、和平工作をしていたような。。。 よろしくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • djiburil
  • ベストアンサー率47% (11/23)
回答No.2

 東條内閣打倒に動いた、岡田元首相らのグループには、明確な終戦構想はありませんでした。  「和平グループ」には、そもそも東条内閣を倒した後に、誰を首相にするかの腹案すらなく、消去法で小磯が選ばれたほどです。よって、和平工作を具体化するために東条内閣を倒したというよりは、とりあえず東条内閣を倒して誰かを首相にし、その先のことは新内閣が考えればいいというような、かなりいい加減なものでした。  それでも小磯内閣で外相に就任した重光葵は、ようやく政府主導で戦争終結のための具体的な工作を3つ開始します。  一つは日本が独ソ和平を仲介すること、二つ目はスウェーデン王室に米英への仲介を依頼すること、三つ目は蒋介石政権に対する和平工作を行うことです。  しかし、このいずれも失敗し、特に最後の蒋介石に対する和平工作は軍部も非常に期待し、昭和天皇にも上奏していたため、この失敗が政治的致命傷となって小磯内閣が崩壊しました。  小磯内閣の跡を継いだ鈴木内閣では、6月からソ連を仲介とした終戦工作を開始しますが、ソ連は2月のヤルタ協定で対日参戦を決定していたため、一方的な片思いによる一人芝居に終わってしまい、ポツダム宣言発出、ソ連参戦、日本降伏となってしまうのです。  このほか、スイスにおけるダレス工作やヴァチカンを通じた和平工作の試みなどが知られていますが、これらは東京は一切関与していない出先機関だけの工作であり、日本の政策としての終戦工作と整理することは、難しいと思われます。  実際のところ、「和平工作」と呼べるような練り上げられた外交工作は一度も実施されず、責任を持って推進する政府要路者もいなくて、流されるままに状況の推移を傍観しているうちにポツダム宣言の発出を迎えたというのが、実態ではないかと思います。  日本の終戦工作に関しては、「日本外交史 第25巻 大東亜戦争・終戦外交」(鹿島平和研究所編:松本俊一・安東義良監修)のご一読をお勧めします。日本の終戦工作を語る際に、基本となる文献だと思います。

rin00003
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >かなりいい加減なものでした。 やはりそうでしたか。 私が見た本では、東條内閣を倒してから、誰を首相にするとか、具体的なことを書いていなかったので、もしかすればと思っていましたが。。 詳しい情報と、本のご紹介ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • ramta
  • ベストアンサー率46% (6/13)
回答No.1

日ソ中立条約により、一応中立だったソ連を仲介を依頼していたようです。 しかし既にソ連は参戦する気満々だったようですのでまともに応じる気は無かったのだろうと思います。 日本の外交下手はいつでも変わらないようです・・・

rin00003
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >日ソ中立条約により、一応中立だったソ連を仲介を依頼していたようです。 なるほど。実現されなかったようですね。。。 >日本の外交下手はいつでも変わらないようです・・・ 本当そのとおりです。たいへん残念に思います。 まことにありがとうございました。

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