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普段、肉を食べているからには

一度は屠殺場見学をして命をいただいていることを感謝するべきでしょうか? どう思いますか?

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noname#248885
noname#248885
回答No.4

まずその張り付けた画像を不快に思う方はいるのかもしれません。 人間に限らず、ライオンはガゼルやシマウマを食べ、残った肉はハイエナやタカが食べます。 鷹は誰に食べられるかはわからないし鳥類の中では食物連鎖トップなのかもしれません。 魚ではマグロは鰯を食べ、そのマグロは鮫等大型の魚に食べられてます。 だから、動物であれ植物を食べます。植物も生きてるのです。 感謝の念は大事です、なぜならいつでも食事にありつけること自体がまずないからです。ライオンは一週間食べられないこともあります。 残酷な補食シーンを、「うわ、ライオンひでぇ」と思うか、一週間の飢えを凌ぎやっとの思いで食えるかによっても違いますよね。 お金を払ってやってるからとかそういう意味じゃなく、かわいそうと思うのもちがくて、自分達が食べ物にありつけられるのはお金があるからとかじゃなく自然の、ひいては天候の産物恵みなんだと感謝するところですよね。 皆が皆、誰かの命を頂かないと生き長らえないと思いますよ。 牛だって草を食べて大きくなってるわけだから、草がなければ死んでしまうでしょう。

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noname#248885
noname#248885
回答No.5

ちなみに他の動物や魚類は食べられるものが限られてます。魚が牛を食らうわけにもいかないですし、牛がマグロを食うわけにもいきません。世界的にはハラールだったり、ビーガン、ベジタリアン、フルータリアン、人間は食と思考や主義によって食べ物を食べたり食べなかったりできます。 他の動物のように命を繋げるだけで食べてる訳じゃなく、自分の主義だったり宗教的観点から食べものを選択できます。 もしも屠畜場に行って牛や豚や鳥が食べられなくなったのなら別に食べなければいいし、プロテインやら大豆由来の納豆や、豆乳や、チーズでも生きていけると思います。 ただ、中途半端にブロックで出されたりバラで形で出される肉は食べないけれど、エキスや風味が含まれてるものは食べるとか、形がなければ食べられると言うのは本当に嫌いになったのかと言えばそうではないと思います。 私の友人に豚肉が食べられない人がいます。その人は料理に豚肉や豚由来のエキスが入ってるのならば臭いでわかるような大のつくほど嫌いな人です。 動植物は形がなくなっても命は頂いてます。例えドレッシングでも、加工品でも、いわゆる乳製品でも同じくです。

  • kon555
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回答No.3

 見学については、行きたければ行けばいい、という話だと思いますが、感謝の念と言うか、他の生物の犠牲の上に我々の生活が成り立っている事は忘れないようにすべきでしょうね。  ただ貴方が挙げられた画像には誤りがある点は指摘させて下さい。  屠畜場での屠殺では『空気が吸えず苦しむ牛たち』は発生しません。まず昏倒させた後に血管を切り失血死させるため、生物的なストレスは最低限に抑えられています。  そうしないと肉の質が落ちる上に、死ぬまでの時間=作業時間がかかり、デメリットしかないですから。

  • hiodraiu
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回答No.2

そう思う人は、そうすれば良いと思います。 身も蓋もない回答ですが、皆が皆、その光景を見たことで感謝の気持ちが沸いてくるとは思えません。下手したら気分が悪くなる人もいそうな気がします。

回答No.1

小さい頃から自分の育てた、愛称のつけた羊を、友人をもてなすために殺して焼いて食べる風習はあまりないでしょう。 家でひよこから飼っていた鶏が、学校から帰った時に殺され血を流していたのを見て、私は鶏肉を食べられなくなりました。 大学生になってゼミのコンパで酔った勢いで無理やり食べさせられるまで、感謝するという境地に至りませんでした。 人によって異なると思いますが、敢えて見せることで感謝と言うところまでもっていけるでしょうか。

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