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ナゼナンダ!?屠殺場を社会見学しないんだ?

疑問なのです。 本当に。 なぜ小学生に屠殺場を見学させないんですか? 社会とか人間とか生命とかの重大さに、 一気に気付くとおもうのですが。 そして、生きることの矛盾に。 え?むごいから駄目? なにを馬鹿な。 動物達がどのように屠殺されるかも知らずにノー天気に、 肉喰ってるほうが、よっぽどムゴイと思いますよ。 それに私が以前「命が一番大切だと言う方は、肉料理どうしてますの?」という趣旨の質問をしたときhttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa4243668.html 、「動物と人間は違う生き物だ」という回答が沢山来ました。 動物と人間は違うのだったら、なおさら屠殺場に連れて行けばいいではないか? 動物と人間は違うのでしょう? だったらいいではないか。 TVのドキュメンタリーでもどうして流れないのでしょうか? 人間は本当に業が深いロボットだと、最近本当にそう思います。

みんなの回答

回答No.23

簡単な話だ 人は血とか殺す場所を忌み嫌うものなのさ まあ社会的に上位にいるような奴等は特にだ 余程のサディストでない限り、大っぴらに言わない また、同和的差別の意味合いからタブー視されている。 私からの視点だが 結局基本的人権の尊重などと言っても 昔からある差別的伝統を守り通している律儀な羊どもが 教育の指導要領ってやつを変えていない結果がこうなんだろ? と言えるね 食の根本を見せずに食育なんてありえんよ 悪いが料理を始めた小4の頃から週1で屠場で見学してたし 畑で人糞使って野菜を育てていた、早朝港で魚を待ったこともある 本物を作るなら現場で見ろって親父によく言われていたからな だから学校で見学は流石にチックな大人しかいないから無理 特に現代の教師が見学したら確実吐くし肉食わなくなるぜ それだけ軟弱なんだよ 親であるあんたが連れて行ってやれ そのあと焼き肉屋へ行け、それで思いっきり食わせな 「貴様はこの肉を怖いか、怖いと思うなら貴様は人間として無礼な奴だ、その精神を改めろ」とためらうなら言ってやれ 鶏が走っているとこを見ながら鶏肉を食う食堂なんかいかがですか? 長野県にありますよ(*⌒▽⌒*)

  • ToFrance
  • ベストアンサー率37% (36/97)
回答No.22

あなたのお子さんが小学生になったとき、今と同じように考え、我が子だけでもと高崎食肉センターの見学に親子で行くか? 教育には段階があります。

  • eiji5620
  • ベストアンサー率14% (78/538)
回答No.21

私は保健所に行っていますから主さんの意見に賛成ですよ ついでに裁判も傍聴し 親が泣きながら証言していたのを今でも思い出します 高校のとき理科見学で血液センターに行き血液が不足ぎみなのを知ったときは健康増進につとめようと思いました 今は平気でペットを虐待し弱ったらぽい どんないきさつで大事なペットが処分されるか自分たちで見に行き命の大切さを考えるべきだと思います

回答No.20

「いただきます」 食事をする際に命を頂くことに感謝する。 これは非常に大切なことです。 本来、屠殺場に行かなくても、調理実習で鳥を絞めるくらいはした方が良いでしょうね。ちなみに私は倒れるかも知れませんが、笑。 解剖実習とかは行うべきです。 屠殺場はいきなりだと難しいのでは? 現状の生活をかけ離れすぎて、慣れていないのに刺激が強すぎてトラウマになるでしょう。私の叔父さんは、近くの屠殺場で鳥の首を刎ねて遊んでいる屠殺場の子供たちを見て肉を食べれなくったそうですし。 またそれとは別に、日本では屠殺場には色々な意味で近づけません。水平関連で社会的構造的な差別と利権の深い問題が有りますので、世間的には触れてはいけない処となっています。そんな意見も一般的には自粛され、意見自体もないものされます。 屠殺場へ普通に見学するような社会になったら、日本の社会問題の多くは解決されていることになります。 命の教育をする必要はありますが、屠殺場見学までは必要ないですし、現状では実現しません。

noname#94859
noname#94859
回答No.19

あまりにむごいから、それに耐えられるだけの力が小学生にあると思えない。教育的な配慮からだと思います。 TVドキュメンタリーで流さないのも、同様。 チャンネルを選ばなければいいのだが、屠殺現場は赤い血も流れるし、刺激が強すぎる。強い刺激を受けて、精神的に不安定になってしまう人がいる(だろう)。 電源を入れてチャンネルを合わせたら「牛が殺されて血が飛び散った画面」だったら、失神する人もあろう。 だから流れないのです。 ご質問者自身が「これを見れば、一気に気がつく」というほどの衝撃があるのです。 なんでもいきなり、不意打ち、突然はいけません。徐々にです。

  • ddhthemy
  • ベストアンサー率6% (3/44)
回答No.18

自分も、それは、考えた事があります。 だけど、ようく考えたら、いかない方が良いと思いました、自分は、行った事ないのですけど、やっぱり、他人が、目の前で殺すというのだと思うのですけど、そうすると、Showになってしまうように思われるのですけど。現に、昔の欧米では、人体解剖が、娯楽になっていましたし、マグロの解体ショー今でも有るではないですか だから、やるのだったら、鶏を生徒一人一人に渡して、それらを育て、それを自分らで捌いて料理をした方が良いと思います。そっちの方が、色々勉強になります。 けど、よく考えたら、これは学校でやる事ではないですね そうゆうのは家庭でやった方が良いと思います。 だけど、命の儚さ、尊さを知る上で、そうゆう事をしたほうがいいと思います。自分たちで、育て、殺して、食べる、それは、人間が日常的に、間接的にしているという事です。 そこは、大事な事だと思います。

noname#83410
noname#83410
回答No.17

質問者様は「いのちのたべかた」という本と映画はご存知でしょうか? (本と映画は題名はいっしょですがまったく別物です)

noname#96295
noname#96295
回答No.16

秘密の施設ではありませんから、 あなたがお子さんを連れて見学に行けばよいと思いますよ。 ワイナリーに見学に行くより勉強になると言われればご家庭によってはまったくそうかもしれません。 しかし食の文明や歴史としては衛生管理のもと屠殺を行うのも、醸造を行うのも、大差ないことではないですか。 食肉の命についてお子さんといっしょに考える機会が欲しいなら、 牛の屠りかたよりも鶏のしめかたを教えた方が役に立つと思いますが、 これはそのものの残酷さを教えることではなく、 自分や家族の命のためにほかの命を頂戴しているという事実を教えることにほかなりませんでしょう。 アメリカと日本では牛の殺し方とその後の扱いも違いますし、マグロの殺し方とその後の扱いも違いますね。 日本はなんと繊細に、食材を損なわないように、器用に処置することでしょう。 なぜ、そういう文化になったのでしょう。こういうことを勉強したいですね。大人になってから勉強すればよいことですが。

  • ryuken_dec
  • ベストアンサー率27% (853/3139)
回答No.15

小学校でやることではない。 nitoro2さんがそんな方かは分かりませんが、最近の世間の風潮は学校にいろいろな役割を押し付けすぎです。 ・子どもが忘れ物をしないようにして欲しい ・食事のマナーを教えて欲しい ・丁寧な言葉遣いを教えて欲しい ・友達の作り方を・・・ 「そんなの家庭とか学校外の人間関係で学ぶことだろ」ということを学校に期待しすぎです。 命の大切さなんて、親戚の死、ペットの死、友人の死、友人の両親の死・・・いろいろな局面で体験することができます。 屠殺場に行きたければ親が連れて行けばいい。 戦争の悲劇さを教えるために小学校がアフガンにつれていけとでも? 自然の美しさを教えるために小学校がグレートバリアリーフに連れて行けとでも? 学校などは教育現場の一つに過ぎず、特に一番の目的は国民に最低限の基礎学力をつけること。テーブルマナーだ、信仰だ、哲学だは家でやってくれという話です。

回答No.14

相当以前の話ですが酪農から食肉流通までをビール工場見学と同じように見学しましたよ。 愛くるしいお牛さんが引きずられて、頭に電気ショックで気絶。 後足で吊され、喉を掻き切られて失血死。後は流れで解体作業。 回答としては、 既に、屠殺場の場所と学校によっては毎年見学しているということです。数は少ないのかも知れません。 感想としては、確かに圧巻ではありますが、製鉄所、造船所の方が遙かに迫力があります。クラスの中には相当ショックを受けた人もいたようですけど。 蛇足 命について 自分が牛の屍を食らって生き長らえているという事実を前提にしないで命の大切さを語ると大変な矛盾を内在することになります。そういうことです。 自分が生きるためには他を殺さざるを得ないという自覚というんでしょうか、生きている自分たちの祖先が殺し続けてきたからこそ自分が生きていると言う自覚ですね。その自覚は痛みでもあるんですが、その程度というのが、その人の生きる姿勢にどうしても現れてしまうでしょうね。 そういう意味で屠殺場の見学は意味があります。 でも、やっぱり、それ以降、お肉が食べられなくなっては やりすぎですし、嫌がる生徒に無理矢理みせるほどの価値はありません。

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