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鶴姫の嫁ぎ先の徳川綱教について教えてください。

5代将軍・徳川綱吉が長女の鶴姫(つるひめ)を嫁がせて、次の将軍位を譲ろうとしたという説のある、鶴姫(つるひめ)の嫁ぎ先の“徳川 綱教(とくがわ つなのり)”というのは、徳川家康の正当な完全な男系子孫なのでしょうか? 第5代将軍・徳川綱吉の娘婿として将軍家世継ぎと目された“徳川 綱教(とくがわ つなのり)”というのは、徳川家康の正当な完全な男系子孫で、 徳川家康が定めた将軍位を継げる正当な完全な男系子孫なのでしょうか? また、そうであるならば、系図と家康との関係を教えてください。

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回答No.1

綱教は、「家康が将軍本家(秀忠→家光→)が途絶えたときに、跡継ぎを出す御三家のNO2である紀伊徳川家」の三代目(家康の男系ひ孫)です。 後に弟の吉宗が本家を継いて八代将軍になりましたね。 家康→頼宣→光貞→綱教&吉宗

noname#247149
質問者

お礼

徳川 綱教(とくがわ つなのり) 徳川 綱教(とくがわ つなのり)は、紀州藩の第3代藩主。 生涯 寛文5年(1665年)8月26日、第2代藩主・徳川光貞の長男として生まれる。幼名は長光丸。寛文10年(1670年)1月7日、幼名を長福丸と改める。

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