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西ドイツと東ドイツが分かれたのと北朝鮮と韓国

かつて戦争によって西ドイツ東ドイツに分断された話は聞いたことがあるんですけど、今で言う朝鮮が北朝鮮と南朝鮮に分断された感じとにてるんでしょうか? どこかで聞いたことある話だなと思ったら、たしか北緯三十七度線(戦?)で分断されたのも同じ経緯でしょうか? 戦争によって、国土が奪われたか、または政府によって分けさせられたのか、よくわかんないけどポイントが似てるのはたしかです

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  • eroero4649
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回答No.3

>それと、東と西に別れたドイツもそんな感じで戦によってだったり、ここは何々国、ここは何々国が支配するとかってだったんでしょうか? 1945年4月30日、ベルリンはソ連軍の攻撃を受けてヒトラーが自殺し、ナチスドイツは終焉を迎えます。 ロシアとドイツは陸続きですし、1944年6月にあのノルマンディー上陸作戦で上陸した英米軍も西からドイツに迫っていました。 真ん中のナチスドイツは、東のソ連軍、西の連合軍に挟まれてほぼ全土を占領されます。ドイツが降伏したときにドイツ領だったのは、田舎の南ドイツ地方の一部だけでした。 ソ連軍と連合軍はそれぞれに占領した地域を支配します。元々ヤルタ会談で「ドイツをどう山分けするか」はチャーチルとスターリンとルーズベルトの間で決められていたので、それに基づいてドイツ全土は支配されることになります。 その地方によって、ソ連、アメリカ、イギリス、フランスによって占領されます。またベルリンは市街地を地区によってソ連、アメリカ、イギリス、フランスによって占領されました。 後にソ連の支配地域だったところが東ドイツになり、アメリカ、イギリス、フランスが占領していた地域が西ドイツになります。 またベルリンはソ連占領地域が東ベルリンになり、アメリカ、イギリス、フランスが占領していた地域が西ベルリンになりました。 東西冷戦により、1961年にソ連は西ベルリンを封鎖します。アメリカは軍の空輸によって生活必需品を送って籠城に成功します。やがてソ連は西ベルリンを囲うようにして壁を作り、これが「ベルリンの壁」となりました。西ベルリンは、東ドイツ国内の西側の「飛び地」になったのです。 日本でも、ドイツと同じような分割統治案がありました。日本全土をソ連、アメリカ、イギリス、中華民国でそれぞれ占領しようとしたのです。 けれども中華民国は毛沢東との内戦で外国を占領統治するなんて余裕はなく、イギリスも「そんな遠い国には興味ねえ」となって日本が分割統治されることはありませんでした。 もし分割統治されていたら、東北と北海道はソ連領になる予定だったので北朝鮮のような社会主義国になっていた可能性が高かったですね。

noname#246783
質問者

お礼

ありがとうございます。なんか、ソ連っていろんな国に貰っていくんですね。 それにしても、いろんな国が分割して支配?するのはすげぇなって思いました

その他の回答 (2)

  • eroero4649
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回答No.2

1945年8月15日に大日本帝国はポツダム宣言を受諾したことによって第二次世界大戦は終結しました。 現在の中国東北部である満州国には、1945年8月8日にソ連が対日参戦して宣戦布告することによってソ連軍が侵攻してきました。ポツダム宣言の受け入れで、日本軍は武装解除することとなり、ソ連軍が満州国全土に進駐してきました。 ところがソ連軍は満州国のみならず、朝鮮半島にもずんずんやってきた。そりゃそうですよね。朝鮮半島をどうするかってまだ決まってなかったですから、早い者勝ちです。 なのでアメリカ軍は9月4日に慌てて沖縄に駐留していた第24軍団を朝鮮半島に派遣しました。ソ連軍は8月24日に早くも先遣隊が平壌に入ります。 アメリカ軍は9月8日に仁川に上陸。翌日には京畿(ソウル)を占領します。 かくして38度線を境に、北側にソ連軍が、南側にアメリカ軍が展開します。 ここで南北の対応に明暗が出てきます。9月19日に北側では、抗日パルチザンのリーダーである金日成がやってきてソ連の後ろ盾によって金日成体制が作られてゆきます。 一方、南側ではマッカーサーはまず朝鮮人を「敵国人民」として扱います。大日本帝国時代の官僚や職員をそのまま登用します。つまり日本人による支配体制が変わらなかったのです。これはさすがに朝鮮人民の大きな反発を招いて日本人を外すことになりますが、体制をそのまま引き継いだので要職には親日派の韓国人が就くことになります。 片やかつての支配者の手先だった人たちが変わらずに支配層となり、こなたでは自分たちの民族をリーダーにして新しい国づくりをする。どっちがイメージがいいかは明らかですね・笑。 後に北朝鮮になる体制はソ連の間接統治でしたが、後に韓国になる南側の体制はアメリカ軍による軍政です。当時は世界中に「進歩的人民」がいましたから、そりゃ「軍政反対、民族自決」の運動は起こります。またソ連や中国も韓国の反体制派に援助もしました。 でね、私は北朝鮮の事情には疎いのですが、韓国ってああ見えて実は地域ナショナリズムってのが日本人の想像を絶するほど強いのです。あんなに狭い国なのに。 プサンとソウル出身の人は基本交流しないんです。私は学生時代に韓国人留学生と結構仲が良かったのですが、彼らは出身地別に派閥に分かれてたのです。ウマが合う同士じゃないのです。出身地で分かれる。で、お互い基本仲が悪い・笑。びっくりしましたよ。 韓国では「光州事件」という虐殺事件が起きるのですが、事件の背景には事件があった全羅南道地方はソウルあたりの人たちから低く見られていた地域だったという側面もあるのです。 そんな感じで、発足当時の大韓民国というのはそれぞれの地域ナショナリズムに共産勢力の不安定化工作(左翼ゲリラ)もあってなかなかまとまらない。一方の北朝鮮は金日成による独裁体制が着々と整っていったのです。 それで、スターリンの支援を受けて金日成は朝鮮戦争にうって出たのです。北朝鮮軍がソ連から240両の戦車の供与を受けたのに対して、韓国軍が保有する戦車はゼロでした。

noname#246783
質問者

お礼

現在の中国東北部である満州国には、1945年8月8日にソ連が対日参戦して宣戦布告することによってソ連軍が侵攻してきました。ポツダム宣言の受け入れで、日本軍は武装解除することとなり、ソ連軍が満州国全土に進駐してきました。 ところがソ連軍は満州国のみならず、朝鮮半島にもずんずんやってきた。そりゃそうですよね。朝鮮半島をどうするかってまだ決まってなかったですから、早い者勝ちです。 なのでアメリカ軍は9月4日に慌てて沖縄に駐留していた第24軍団を朝鮮半島に派遣しました。ソ連軍は8月24日に早くも先遣隊が平壌に入ります。 アメリカ軍は9月8日に仁川に上陸。翌日には京畿(ソウル)を占領します。 >ありがとうございます、 北朝鮮がソ連、南朝鮮(韓国)がアメリカ軍と言うのはわかりました。それに、分断されたあとの植民地支配?とかも。 それと、東と西に別れたドイツもそんな感じで戦によってだったり、ここは何々国、ここは何々国が支配するとかってだったんでしょうか?

  • gunsin
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回答No.1

ドイツと朝鮮が分断国家になった経緯はグーグル先生に聞けば 解りますよ。 約束を守らない信用出来ない、朝鮮人の国の事なんぞ、どうでも いい事でしょう・・・・ ソ連が北海道、本州が米国、四国が英国、九州が中国に日本も 分断国家になる処だったのですよ。 それを防ぐ事が出来たのは、8月15日以降に、大本営の武装解除の 命令に逆らって、現地の将兵の判断で樺太と千島列島で戦闘を続け ソ連軍に北海道を占領させるのを防いだからです。 自衛隊の戦車に士の文字が見えるのは、矢が尽き、刀が折れで、 戦死した、十一戦車連隊の魂を引き継いでいるからです。 日本人なら、こちらの方を認識して戴きたいものです。

noname#246783
質問者

お礼

すみません、大分話がずれてきてますけど、北朝鮮と南朝鮮(韓国)と、西ドイツと東ドイツに別れた国の話じゃなかったっけ? 日本もロシアと未だに北方領土問題は知ってるけど、もし気になればまた改めてそちらは質問させてもらいます。

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